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「時間」は後からやってきた~Sapiensより

毎日、洋書「Sapiens」を読んでいます。
と何か月も言い続けていますが(;'∀')、、1日5ページも進まないペースで読んでいます。それでもよくわからないときもあって落ち込んで書店でその箇所を確かめると、日本語でも何が書いてあるのかよくわからず、妙な安心を感じ本を閉じて帰ってきます。日本語でも読解できないのだから、英語でわかるわけはない、日本語力が私のすべての土台であることを再認識する良き機会をSapiensは提供してくれます。

Sapiensは人類の歴史をたどりながら、当たり前に人類が取り込んできたことにちょっとした疑問を投げかけたりして、読者をフラットな状態に立ち返らせてくれたりもします。

遅々としたペースで読んでいますが、とうとう400ページが目前となってきました。初めは狩猟採集民族だった人類、もう産業革命を迎えました。

そして当たり前に取り込んできたことが今日も出てきました。
「時間」です。
産業革命はTimetable、スケジュールを生み出しました。
その昔、農耕がメインだったころは、おひさま動きや植物の生長を目安にしてことが進んでいました。
文明が進むにつれて、おひさまや植物はどうでもよくなったけど、一人の靴職人の作業が遅れてしまっても、他が行き詰まることはありませんでした。
ところが産業革命が起こり、靴工場の組み立てラインで一人の労働者が寝坊をすればほかに影響が出てしまうことになり、Timetableがとても重要になり、正確な時計がそこら中に見られるようになったのです。そして人類はこんな風に描写されることに。

You need to make a conscious effort not to know what time it is.
今何時か知るまいとするために意識的な努力が必要である。

The typical person consults these clocks several dozen times a day, because almost everything we do has to be done on time.
典型的な人は1日に何十回も時計で時間を確かめる、ほとんどすべてのことは時間通りじゃないとならないから。

おっしゃる通りでございます。私も1日を時計を見ながら過ごします。
当たり前だと思っていました。
今年の年始に「和時計を手に入れる」なんて言って、時間に縛られないことを誓ったけれど、それでも日々〇〇時から~という予定の組み合わせになっており、時計を見ずに暮らすのは不可能に近いです。音読道場だって開始時間に来てもらわないと困るし、一時間でお代が発生するので、時間の認識はなくてはならないものです。

でも「時間」は後からやってきた。
考えれば当然のこと。でも言われて気が付きました。
Sapiensはよく目からうろこの気づきをくれます。
積読洋書のラスボスSapiens、カタカムナ音読をするようになって思考がクリアになったときに合わせてスタート、和時計云々を12月に知り、そもそも時計が必要になったことを今読む、すべてのタイミングがよくて、仕組まれた流れのように感じます。

ノープランじゃないとできないけれど、時計を一回も見ない生活をそのうちしてみたいなと思います。おひさまの動きだけの生活。候補の日は別荘に行った時かな。朝昼晩ご飯を食べ、その合間に焚火をする生活。時計は腹時計だけ。スマホも見ない。ブログも書けぬ。はて、できるかしら。



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