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物語が動くとき

私にとって何かをはじめるより、やめるほうが難しい。

それが、自分が心血注いでエネルギーを掛けてきたものであればあるほど、難しさは増す。
思い入れがあるからだ。
かけがえのない思い出も沢山あるからだ。

先生という仕事。

天職だと思ったこともある。(今もちょっと思っているw)
やりがいは計り知れないほどある。
安定した良い収入もある。
楽しいことも嬉しいことももちろんある。
時間もそこそこ自由だ。
社会的信用も高い。
大好きな海外出張もある。

条件は間違いなく良いはずなのに、私は長い間ずっと心のどこかで「自由になりたい」と思って、モヤモヤしていた。

年始。
元日から私は京都にいた。
地震のニュースも飛行機事故も京都で知った。
私の実家が被災した東日本大震災を思い出した。
あの時の無力感が蘇る。
その後、高野山や奈良・京都のお寺巡りをして1週間を過ごした。
京都最終日、伏見稲荷大社で引いたおみくじは「大大吉」だった。

何かが起こりそうだと思った。

結構大きなことが起こるな。
ちょっと怖い。

そしてそれは直ぐに起こった。
私自身に。

突然、底なしの無力感と無価値観に襲われたのだ。(きっかけはあるけど、長くなるので省く)
わたしには何の能力もなくて、存在価値さえ無いという思いから抜け出せなくなった。

体が震えた。
涙が出た。
頭痛と吐き気がした。

自分ではコントロールできなくて怖かった。

こんな自分は誰にも見せられないと思った。
仕事を休んだ。

絶望感に近いものを感じて、感じ切ってヘトヘトになったとき、やけくそな気持ちで自分の内面で見て見ぬふりしていた部分を見ようという気になった。

私が怖いと思っていること。
思い込み。

たくさん出てきた。

そこに居たのは、超絶にダサくてカッコ悪い自分。
見たくなくて心の押し入れに隠していた自分だった。

狭いところに押し込めてて、ごめんよ。
弱くて、ダサくて、汚くて、カッコ悪い自分の頭を撫でた。

私はずっと誰かを喜ばせたいと思っていた。
小さい時は親だった。
ある時は友達だったし、ある時は仕事仲間。
ある時は恋人であり、夫だった。
今の仕事になってからもっぱら学生。

人を喜ばせることで、愛と承認と安心をもらおうとして、自分以外にエネルギーを注いでいた。
そして、自分には高い食事や、化粧品、洋服などを与えることで誤魔化していた。
仕事で忙しい親が、構ってあげられない子供にひたすらお小遣いを渡すみたいに。

だから私はずっと寂しかった。
寂しくて、構ってほしくて余計人に注力していた。

見るべきは、エネルギーを注ぐべきは自分なのだ。
お金をかければいいという行動の話ではなく、意識のところで自分を構ってあげて、エネルギーを注ぐことを怠っていた。

人が喜ぶことをしないと、人の役に立たないと価値がない、と無意識レベルで思い込んでいた。
だから終わらせることが苦手だったのだ。
人から感謝されないと自分が欠けている感じがしていた。

本当は違う。

心の押し入れに押し込めていた私に言ってみた。
そのままで大丈夫。

まだ本当に大丈夫とは思えていない。
でもきっと大丈夫なのだ。

物事を終わらせるのが苦手な私は、昔から何も終わらせられなかった。
人ががっかりする顔が見たくないからだ。
いや、それを見ると自分が責められているような気がするのが怖かっただけだ。
だから、やめたいことを無理に続けて怪我をしたり体調を崩したりしてやめざるを得ない状況になることも多かった。

押し入れの自分に謝った翌日、私はまず夫に仕事をやめたいと伝える決意をした。
(私は夫にさえ言えなかったのだ)
たまたま出社時間が被り、玄関を出たタイミングで言おうと大きく息をしたとき、

「仕事やめていいよ」と夫が言った。
「あ、働いては欲しいけど…稼ぎが悪くごめんね」と笑いながら付け加えた。

そっか、やめていいのか。
なんでこんな簡単なことも私は言えなかったんだろう。

自分への愛を外からもらおうとしていたからなんだよな、ちゃんと自分で自分に愛を向けたいな。

その日、授業と会議を終わらせて、私は上司に辞めたい旨を伝えた。

上司は本気にしていないようで、どうも話が噛み合わない。
とても優しい上司で、私の好きなようにさせてくれている。その上もっと私のやりやすいようにするから安心して、と言われてしまった。
そうでは無いと1時間近く真摯に伝えたけれど、たぶんちゃんと伝わっていない(笑)

私の代わりはいくらでもいる。
明日からいなくても多少バタつくけど業務は回る。世の中そんなもんだ。

でも、学校に於けるキャラとプレゼンスが割と強めなので辞めるとなったらちょっと騒ぎになるかもなとは思っている。
それはそれで楽しめば良いか。

まだ辞めることも認められてないし、決まっていないのに、伝えられただけで体が軽さを感じた。

伝えた後は力が抜けた。
15年の想いが溢れて泣けて泣けて仕方なかった。
会議室に1人でこもってひとしきり泣いた。
全くもってダサいったら、ありゃしない。
母から体を心配するLINEが来ていて、学生からは最近元気がないからと私が好きなアイスを奢ってもらった。

夫も上司も親も学生も、何もしなくたって、私はこんなにも周りから愛されていたじゃないか。
そう思ったら、まだ泣けた。

2年前に書いたnote「JUNKO先生は、先生をやめてしまうのだろうか」のストーリーが、やっと動き始めた。

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