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ケツ合わせの人生

振り返れば「ケツ合わせ」の人生だ。

ケツ合わせと言っても、自分の尻を丸出しにして人になすり付けにいっているわけでない。
そういう趣味は無い。

「ケツ」とはもちろんお尻のことだ。
このとてつもなく品が無い言い方は私のせいではない。

前職の業界用語である。
TV、映画、音楽などをはじめとする芸能全般で「ケツ」は多用される。

「ケツ延ばせますか?」
→終わり時間の時間延ばせますか?

「ケツにもう1本入りました」
→この仕事の終了後に別な仕事が入りました

「今日はケツが無いので、また別日に」
→今日はこの後予定があるので、また別日に

「その映像のケツ、もう一回見せて」
→その映像の終わりのシーン、もう一回見せて

上記以外にも使い方はいくらでもあって、ケツとは終わりとか最後を意味する。
うら若き乙女だった私も例に漏れず、毎日「ケツ」を連呼していた。

で、ケツ合わせとは何か?
簡単に言うと「終わりを合わせる」ということだ。

終了時間に合わせる。
納品締め切りに合わせる。
映像の終わりと音楽の終わりをピッタリ合わせる。

合わせる、または間に合わせる、みたいな意味だ。


ある時、先輩からしみじみ言われた。

「お前はホント…ケツ合わせの天才だな!あ、これ褒め言葉な」

ケツ合わせの天才…?
いや、才能でもなんでもないと思うけど…。

先輩曰く、私の「ケツ合わせ」は惚れ惚れするほど華麗だそうだ。

私からすると、何てことはない。
・締め切りギリギリにならないと取り掛かれない
・早めに始めても飽きて途中でやめてしまう
・今やらなくて良いことはやりたくない
・面倒臭がりなので労力は最小限にしたい
ただ、これだけの話だ。

本当は早めに取り掛かり、余裕を持ちたい。
ゆっくり熟考して、より良いものを提供したい。
とは思っている。

だけど、私は何度もnoteに書いているように、全日本だらしない選手権でベスト8入りはするくらいの人間なので、思っていてもできないのだ。

考えてみると、全てがケツ合わせ。
1ミリの余裕もない状況になって、やっと重い腰が上がる。

夏休みの宿題。
就活の履歴書。
待ち合わせ。
自動車教習所。
試験勉強。
旅行の荷造り。
ホテル、移動のチケット、等の予約。
仕事の締め切り。
ダイエット。
プレゼン準備。

とにかくほぼ全部。
世の中の「いついつ迄に」があることがらは全部ケツ合わせだ。

因みに、自動車教習所は最初順調過ぎて凄く余裕があったのが災いして途中で行かなくなり、お金が無駄になる期限ギリギリになるまで放置して、残るは一発勝負で合格しなければアウトという状況で免許を取得した。

海外旅行でビザが必要な国へ行く際も、取れるか取れないか微妙な日程になるまで放置。

つい最近は、東京都に提出するシンガポール視察の報告書(6000文字)を締切日の前の晩からやり始め、提出期限の5分前に提出した。
今回は徹夜はしていない(というか普通に寝た)が、海外旅行の荷造りなどは毎度徹夜案件だ。

学生には、余裕を持って課題提出しなさーいとか言ってるけど、、

余裕とか、そんなん無理よね。

ただ私の場合、学生と違って何故だかピタッと間に合っちゃうのだ。
それが先輩曰く「ケツ合わせの天才」ということなのかもしらん。

そもそもフィジカル的にも脳みそ的にも持久力がなく、コツコツがすげー苦手。
その代わり瞬発力だけはあって、やり始めると非常に早い。

探り合い的な会話で「〇〇ってもうやった?」「全然やってなーい」というのがある。
一般的にはこの全然やっていないを信用してはいけない。

だけど、みなさん。
私に限っては本当に全くやっていないので、ご安心くださいませ。 

こんな自分嫌だなぁと思う時もあるけれど、よくよく考えたら別に何の問題も無いわけだし。
この年齢までこうなので、仕方ないと自分を受け入れつつある。

中々やらずに一気にバババッとやる、ケツ合わせタイプの人って意外と多いんじゃなかろうか。 
人生そのものもケツ合わせ。
これから一気に盛り上がるかもよ!笑笑

腰が重いのでもなく、だらし無いのでもなく、計画性が無いのでもなく、

力を温存して最小限の時間で無駄なくやる人

ってことでここは一つ納得しておくんなさい。
これからも、自分のダメっぽいところを次々正当化していこうぜ!!

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