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無用が用になるとき

「無用の用」という言葉(?)思想(?)がある。


ざっくりした意味は、「一見役に立ちそうにないコトやモノにこそ、真の有益な働きがある」というもの。


「この世には役に立たないモノや経験なんてひとつも無い」ということや、「何でもなさそうなものにこそ本当のことが有るよ」という意味なんだろうね。


やはり、遊びや無駄や余裕はとっても大切

でも、どうだろう。
ふと気がつくと、忙しい現代人はつい効率の良さを優先してしまう。

乗り換え案内を検索すると、必ず1番上に出てくるのは1番早く目的地に付けるパターンだ。
私は乗り換えが嫌いなので1番楽な行き方を選択するけど、それ以外の事では割と効率の良さを優先してしまう。


経済的なことより時間的エコを重要視するタイプ。


特に段取りが悪い場面に遭遇するとかなりの確率でイラッとしてしまったりする。
イラッとする度に、あー、もっとゆったり構えないとアカンなぁ…と、ほんのちょびっと反省する。


ただね、イライラする事も無駄ではないと考えると、何でもかんでもオールオッケーなので、イライラした自分も丸◯と言うことになる。

この世の中、人生、本当に何ひとつ無駄がない。
我々の存在そのもの、我々の一挙手一投足全てが無用の用だ。


私はいま専門学校で教員をしている。

22学科ある大規模な学校の中で、ホテル・観光分野の学科に所属しており、ホスピタリティマネジメントなどを教えたり、その他諸々の仕事をしているが、ホテル等で働いた経験は1ミリも無い。

ホテル・観光分野へは2020年の学科新設と同時に異動をした。

その前はテレビ、映画、CM、MVなどのメディアやエンタメ業界のスタッフを育成する学科に所属し、更にその前は正に自分がそのエンタメ業界にいた。

なぜ、そんな人間がいま観光やホテルをはじめとするホスピタリティ産業の仕事が出来ているのか…。

きっかけは20才の頃の現実逃避だ。


田舎から上京して2年…私は全く自分に自信が無いくせに自意識と変なプライドだけは高い拗らせたブス女だった。

自信の無さを悟られないように、ポンコツぶりを隠すために、精一杯頑張った。

頑張ったけど、空回りし過ぎて、すっかり疲れてしまった。

疲れてしまった私は学校に行かなくなり、、、

旅に出た。

逃げるために。

ここでは無いどこか、私を誰も知らない場所に行く事で救われた。

1人旅にハマった。

それは社会人になってからも続き、稼いだお金の半分以上を旅行やホテルに費やしていた。

私は自分から逃げていた。

また、ただただ美味しいものと素敵空間が好きで、東京カレンダーという雑誌に載っているそこそこ高いレストランに片っ端から行った。

お金に余裕はなかった。
側から見たら無駄遣いだし、自分としては現実逃避だった。


ただ、顧客体験だけは以上に増えた。
その辺のホテルマンや旅行代理店やレストランスタッフより、ホテルや旅や食に詳しい人間が出来上がった。

いま私は業界第一線の人や、あちこちのホテルの総支配人達、またはグルメサイトの運営会社代表と対等に話が出来ているし、私を指名して貰えるようにもなった。

収入の半分以上を使ったお陰だ。(と思う)

因みに、残り半分は生活費だったかというとそうではない…。残りは奨学金の返済や他の趣味や習い事、見栄をはるためのファッションや美容に使っていた。

だから、生活費はほぼ0だった…。(え…?)

最近はポンコツを晒しまくってるので言ってしまうけど、生活費が無いくせに私は地方出身なので一人暮らしだった(笑)

ちゃんと生活できてたのかの疑問がわく。。。


全然出来てまてん!!(๑╹ω╹๑ )


当たり前だけど貯金なんて皆無だし、電気、ガス、水道を止められたことも一度や二度ではない。
(ドン引きした人…ごめんなちゃい)

お家賃も大家さんに何度も待ってもらった。
(優しい大家さんだった)

決して貧乏自慢ではない。

そして、この生活を他所様に勧めるわけでも、いま役に立ってるから凄いでしょ?と認めて欲しいとも微塵も思わない。

洋服はたくさんあるのに、電気が止まった真っ暗な部屋で過ごすのは惨めだったし、それを親や友達に見栄を張って隠すのも辛かった。

田舎から反対を押し切り啖呵を切って上京してきたので、実家にも甘える勇気もなかった。

この時のただただ散財している私は全く幸せではなかったし、戻りたいとも思わない。

でも、これが私なのだ。
紛れもなく過去の私だ。

せめて私自身がこの時の自分を許してあげなければ、私が報われない。

無駄じゃない。
どんな失敗だって経験なのだ。

そう、あの時の自分を認めてあげるのは私だけだよなぁ、とぼんやり思ったタイミング(3~4年前)に異動の話が出て、何故私が…と思いつつ好奇心だけで観光業界に足を踏み入れた。


そして、今度は日本の観光業界のトップを走る、某リゾート運営会社(☆野リぞート)の社内研修講師のオファーをいただくことになった。

詳しい内容はオフレコだけど、私のドストライクの分野だ。

私がホテル観光業界に足を踏み入れ無ければ某企業との出会いは無く。

私が映像の仕事をしていなければ、今回のオファーも無い。

私が旅とホテルに詳しくなければ、ホテル・観光の学科への異動は無かったはず。

私がメディアの世界から教育の世界に来なければ、そもそも成り立たない。


私が自分から逃げて
旅をしまくり、
メディアの仕事をして、
学校の教員になって、
映像の事を教えて、
観光分野に異動して、
観光のプロに映像を教える。

全部繋がった感がして、とても気持ちが良く、オファーをいただいた時も「こんな大企業のキレキレ社員向けに無理」という気持ちは1ミリもなく…、無謀にも「やります!」と即答した。


そして今週月曜、1回目の講座があった。
(全4回ある)

全国の☆野の施設から集まる広報部集団を相手に4時間に渡って講義をした。

とても楽しかった。
参加者から「最高でした」と言ってもらえた。

「人生で1番集中できた講義でした」とも言ってもらえた。

本部の広報担当者からは「社内の広報戦略会議に入って欲しい」と言ってもらえた。

私に直接オファーをくれた役員の方は「完璧」と一言。  

私は長年の便秘が解消された気持ちになった。
(なに、その感想…笑)
そして講座はまだまだ続くし、更にその先も色々発展していきそうだ。

たまたまそうなっただけかもしれない。

でも、自分のどんな状態でさえも認めてあげられたら、それは全て無用ではなく用になるのだ。

大それたことじゃなくていい。
むしろたいした事ない些細なこと、どうしようもなくダメな自分がもの凄い可能性を持っている。

本当に無駄なことなんてない。
逃げた事も無駄にはならなかった。 

どんな自分でも、どんな状態でも、何を思っていても、何も思ってなくても、とにかく全てがOKなのだ。

だからカッコつけや自虐じゃなくて、そのままの自分を抱きしめてあげるだけで、無用は用になっていくのかもしれない。

私は出来ないことばかりで、強そうなのは見掛け倒しなだけでメンタルも弱く、適当でいい加減な人間だ。
でも、純好奇心があり、いい大人なのに純粋な自分を好ましく思う。

誰とも比べなくて大丈夫だから。

誰も置いていったりしないから。

周りを見ないで、もっともっと自分を見ようと思う。

他の誰でもない、私にちゃんと注目してもらえる事を私は待っている。




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