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贈り物 お返し文化から考える / 日本発祥のパーソナルスタイリスト&ギフトファッションについて。


ホワイトデーでしたね。


日本の贈り物、お返し文化。

3月14日は、ホワイトデーでしたね。

夫から何気なく「お返し」を貰い、一緒に食べました。

毎年、あ、うんの呼吸で続いているバレンタイン&ホワイトデー。

今年はこれ。マグカップは娘からのバースデープレゼント。母娘でムーミンシリーズが好き。


昨年はこれ。


夫の雰囲気は、もうご存知の通り、こんな人。

なので、貰ったお菓子も美味しかったけど
この姿で、あれを買う姿を想像すると、なんだか微笑ましいわけだ。笑

要するに、気持ち、が一番嬉しいの。



贈り物って、頂くことはもちろん嬉しいけど、贈りたい人のことを考えて、喜ぶ顔やリアクションを想像するだけで、幸せな気持ちになりますよね。

そしてお返し、という気持ちって日本人独特なものですが、私は嫌いじゃないです。どちらかといえば、好きかなぁ

ただ、お返しが義務的になってしまう思考なら、意味がないですけどね。


ギフトファッションって何?


私が服装において ギフトファッションを提唱しているのも

こうした文化的なことの影響が関係しているよね、と思いながら 改めて
弊社が持つ商標の数々について、その意味や価値を考えてみた。


もうすぐ、弊社併設ファッションスクールがリニューアルされて
やっと生徒さんたちを受け入れられる時が迫ってきたので、長年やってきたこの道を俯瞰してすべてを見ています。ファッション道40年、ファッション教育・学校経営は、34年になりました。

初登壇したのはファッションの専門学校で25歳のとき。
その後、日本初のパーソナルスタイリスト事務所・ファッションレスキューを立ち上げ、学校を併設。

PSJ⇒パーソナルスタイリストジャパン
MFJ⇒マインドファッションジャパン
M を Mind⇒Meta に改め
MFJ⇒メタファッションジャパン がスタートする。

プロのパーソナルスタイリスト育成は現在も継続しながら
今、力を入れているのは一般の人もファッションの本質、基本が学べるという画期的なコース。

ギフトファッションだけを語っても、浅くなっちゃうナ、という感じもあるのでこれを機に、ちょっと頭の中も整理しています。

まず、取得してきた商標は以下の通り。

ファッションレスキュー(R) 社名
プロパーソナルスタイリスト(R)
ギフトファッション(R)
装力(R)
ファッションエデュケーター(R)
マインドファッション(R)
メタファッション ⇒ 申請中


装いはギフト


ギフトファッションを考案する前に、日本で初めてのパーソナルスタイリストを名乗った人間なのですが、この商標(パーソナルスタイリスト)はボヤボヤしているうちに先を越され(笑)現在は プロパーソナルスタイリスト、というRは取得した状態。

その教訓を生かして、その後はファッションレスキューという社名にはじまり、大切にしてきたことを商標登録するようになった。

パーソナルスタイリングも、ギフトファッションも 日本初だったので
当時はその発想に多くの人が驚いた。

業界でもあまりの衝撃で、どれほどメディアに取り上げられてきたか、今その資料を整理もしているが、自宅の一部屋が全部それで埋まってしまうほどにある。

よくこんなの取ってあるよな、というくらい新聞紙自体の色が変わってるよ。
もうやってきたことを抱えきれなくなって、集大成にしたくて
すべてを包み込み、今をも超越するメタファッションをラストにしようと思っている。まぁ 100歳くらいまで生きてたら、また進化させる可能性はゼロじゃないけど。

日本中を衝撃が駆け巡った2006年ごろ

え?!タレントでもないのにスタイリストをつけるなんて?!
販売員がいるのに、お金を払うってどういうこと?
ファッションカウンセリングに1万円以上?頭狂ってませんか? とサービスを開始しても ユーザーは混乱しまくっていたよなぁ。

一方で
装いはギフトっていう考え方、目から鱗。なんか、素敵。人生が変わりそう。そんな風に服を考えたことなんてなかった! 

などと、あらゆる声がSNSを中心に駆け巡り、2001年には私一人だったパーソナルスタイリストが、今や検索100万件を超えるヒットに。

パーソナルスタイリスト創始については、過去記事にも説明したポストがあると思うので、今回は「ギフトファッション」について話をしたいと思う。

装いはギフト

装いは今日会う人への思いやりである。

日本発祥、世界に通用する概念


日本独特なもの?日本にしか通用しない?と聞かれたら、

「ワールドワイドに通用する考え方ですよ」と答えていますが、日本人のDNAが私の中に組まれているからこその発想、なのかもしれませんね。

外資系のトップビジネスマンに講義することもありますが(半数以上が外国人)半端なく 驚かれ、喜ばれます。


日本では着物のことについて勉強になると思ったことはあるが、洋装で世界レヴェルの話を聞いたのは初だと。
イメージコンサルタントの概念とは違う、日本発のアプローチに、皆さん感激するみたい。

日本のおもてなしのクオリティーの高さに驚愕すると同じように。

ギフトファッションは、常に相手への贈り物のように私は考えているし、会えた喜びや、時間を割いてくださった感謝の気持ち、豊かな時間を共有できる喜びの気持ちを込めて装います。

おもてなしファッション、と同義語かもしれないなぁ。

ギフトファッションは、現在運営するファッションスクールの教えの根幹の一つにもなっているのは言うまでもない。


ギフトファッションは上質なコミュニケーションを生む。



◆事例1

この装いは ファッションデザイナー コシノジュンコ先生にお会いした際の服装。
私がいつも登壇している 時事通信社さん主催の講演会にて、この日はコシノ先生がご登壇され、私は控え室でのご案内役を。
その時期発売された先生のご著書を持参し、お写真も一緒に。

私が着ているのは、junko koshinoの カツラギ地を箔加工したセットアップ。

https://www.facebook.com/junkomasachika/posts/pfbid0njiGiU3TK5MUYfeQr8erACCUK31EHG6BhCdxyJcWQ5MUtiEhCDtxz9b8BHeVzFpql
(この日のFB記事は1000人を超える人からメッセージがあった)


そして コシノ先生といえば 赤。本の表紙もコシノジュンコカラー。
ということで装っていったら、こんな風にリンクが生まれて
凄く喜んでくださったのです。

もちろん すぐに自身の作品であることに気がつき、
「あぁそれ 懐かしいわ!!!それ 加工してオリジナルで創った生地なのよ、今見てもいいわねー またそういうの作ろうかしら!」と。

全身コシノブランドで固めたわけではなく、朱赤のブラウスはロベルトカバリのものだし、ハットも靴もカバンも違っていても、私からのギフトな気持ちが伝わったようで、気持ちよく会話が弾みました。

そう、上質な会話を生むコミュニケーションは、服から始めることができる事例ですね。

◆事例2

例えば、自分が登壇側なら、こんなギフトを。このスタイルは、私の登壇スタイルの一つの定番ですが、行く土地柄などにあわせ、ちょっとした差をつけています。

群馬を代表する企業が集結した、とある団体様への講義では、お城のような外装・内装の素晴らしい場所をご用意くださり、私はホワイトとブラックのコンビのジャケットを軸に、パールデザインを効かせて。

視聴者はほぼ全員スーツ姿なので、その格式にもあわせますが、ルールを守るだけではないし、表面的な似合うの答えを守ってもいません。
いわゆる「講師ファッション」とは別物だと思います。

この日の懇親会では、能登地震があった後なので、少し重いムードがあったのですが、「ファッションの講演は気持ちが明るくなるし、やはり身だしなみを整えたり、今日学んだ装力を身に付けて、相手のことや社会のことをもっと考えた装いをしたいと思ったよ」というご感想を頂きました。

単なる知識を詰め込んだわけではなく、個人の似合うにシフトした話はしない。だからオーディエンスは、次の一歩を踏み出すとき、自己満足に陥らないギフトファッションを纏いたいと思うわけです。


同じ登壇でも、ファッションの専門学校で講義をするシーンだと、こんな感じ。

左は可愛い生徒ちゃんと。若い世代の子達からはいつもギフト貰っているのはこっちです。
凄くワクワクする。

せんせー うちのおばぁちゃんと年齢かわんないよー マジでもう還暦?!と喜んでくれる20歳たちへのギフトは、友達とか先輩感覚を取り入れること。

かわいいなぁ 今時代のメンズ君。私のTシャツはナイキのもの。親近感があると嬉しい。腰に巻いたシャツとハットは古着屋さんで。古着屋さんの話なども彼らは大好き。



ギフトファッションは相手が人間だけではない


例えば、桜の季節到来ですが 桜を見に行く際の服装は自分が主役ではなく、桜が主役。

事例3 お花見  バラ園



この場に来ている人の目障りにもならないように、溶け込むように装います。こういう配慮もギフトなんですよ。
こんな場で、こういうスカートを穿いたほうが細く見えるから、なんていう自分至上主義は必要ないのです。

でもそうだからといって自分のテンションが下がるなんて事はない。むしろギフトファッションのパワーは自分個人の似合うを大きく超えていきます。

こういう感覚は、日本は不思議なほど遅れている。
服装が公共の一部だという感覚が無いから、街並みの風景が汚かったりするのです。そう、隣の家のことを考えずに好きな色の壁色にしたり、ウルサイ看板が平気で景観を乱したりするでしょう?

メタ思考で、装いも変幻自在に


◆事例4

こんなプライベートシーンでは、綾波 レイ風になってみたりもします。笑

『新世紀エヴァンゲリオン』の展示に、近代美術館を訪れた際のスタイリング。
会場ではアニメのファン、特に綾波 レイの方々に羨望の眼差しで見られ、お写真いいですか?という楽しいコミュニケーションが生まれました。
アニメファンはシャイな方が多いけど、思わず話しかけたくもなるみたい。

え?!そんなコスプレみたいなことがギフトファッション? ではなくて、こういうことまでできますよ、という遊び事例。



そして普通に、何があった日でも、こんな風にジムで体幹鍛えてます。笑 ギフトファッションを体現するには、自分が納得する服以上に、私の場合は体型維持や、ヒールがいつまでも履けるように体幹鍛える優先順位を上げているかな。


ジムから帰って 付け毛だけアレンジし、そのまま MFJの授業を行ったことも。笑





ギフトファッションはその場の価値を上げることができる。同時に、準備力が鍛えられ、人生のすべての「いざ」を克服できるようになる。


◆事例5 今年三月初頭に行われた、日本のパーティーシーンを牽引する、花千代さんが主催する大人の遊びパーティー。
テーマは キャバレー&20年代&ゴールド。夫とMFJの学びを積み上げてきた生徒さん3人と参加。


私も夫も、この日のために創造はするが散財しない。すべて手持ちのものやハンドメイドで衣装を用意する。このブーツなんて白いブーツを塗料で染めたんだから、塗料は700円くらい。

また、敬愛し、目標の女性の一人であった アイリスが102歳で亡くなった直後のパーティーだったため、私以上にアイリスを慕う花千代さんへのギフトとして、アイリスのイエローゴールドパンツをシンセカイ(夫)が着用した。夫と共有するため、もともと2サイズ大きいものを入手。私は、ワイルドに穿いて楽しんでいる。


アイリスとは、この方ね。


MFJの大事な生徒さん選抜の3人と。
いやいやこんなの無理だし、なんて思うでしょう?別世界の人の話だと。
彼女たちが学びをはじめる前のOL姿を見たら、もう誰も言い訳が出来なくなるはず。
(その衝撃画像は、もうすぐ公開の学校HPにてご覧ください)



もし彼女たちが、私の元でギフトファッションを学び、体現の訓練をしてこなかったら、この日のこの爛漫な笑顔は無いでしょう。

彼女たちが、以前から憧れていたというこのパーティー。
ギフトファッションを深く理解し、体得したことで、彼女たちは怖気づくことなく、壁の花にならず、思い切り夜のキャバレーの主役級になっていた。

彼女達の存在は、間違いなく 場の価値を上げるに少しは貢献できたのでは?と思います。
親バカの先生が、ただ褒めたいレヴェルとは確実に違っていたわ。
冷静に客観視してそう思えたことは凄く嬉しかった。


それは
①服そのものの威力(装力(R)の学び)+ 
②この日までの 心とファッションの準備(マインドファッション(R)の学び)+
③なぜそれを着るのか(ファッションエデュケーション(R)の学び + 
④自分に本当に似合うものは自分を超える必要がある(メタファッション(R申請中)の学び

によって、当日の立ち居振る舞いが堂々と、そして他の参加者さんともフレンドリーにマインドフルに過ごせた
(ギフトファッション(R)の学び)ということ。

そして彼女たちは、今後も続く学び(メタで学びを俯瞰)にて
プロパーソナルスタイリスト(R)になれたり
自身の仕事との融合にて、新しい世界を創り出し、弊社が獲得している商標を自在に使いながら(使用規定はもちろんあります)
自由に、社会で評価も得ながら、変幻自在に自己を表現していくことでしょう。

ギフトファッション(R)トレーナー

なんて人も出てくるんでしょうね。

装力(R)インストラクター

とか、ビジネスマン対象の講演会できそうです。

いくらでも発想・創造可能なのも メタファッションスクールの特徴になるかな。同じ人を創らないという意味でも。


※この日のレポートは、ベストドレッサー賞の審査を仰せ付かった身としては、特集記事として、しっかり記す予定。

※以前書いたもの。↓ これから幾度かパーティーがあったのに書けずじまいだー!!



ギフトファッションは、

永久に持続可能なメソッド。

たとえ自分がこの世から去るときがきても。



◆事例5

娘の成人式ですが、主役は娘であっても、両親である私たちの装いが
一生こうして写真で遺るものだとしたら、、、と考えます。
送り出す玄関で、エプロンしたままのカジュアルでは、やはりギフトにはなりません。いずれ孫も出来るかもしれないし、未来を生きる誰が見ても
古くならず 奇をてらわず。


お着物は、私が自分の成人式の際に着たもので、亡くなった母方のおばぁちゃんが孫にと誂えてくれたもの。

天国から、きっと眩しく見守ってくれたことだろうと思うと、そこにもギフトがあります。

 
こちらは娘の大学卒業式の袴姿。
娘は東京都の職員になり、現在、学校の教師をしています。

この春、初の卒業生を送り出す6年生の担任の先生として、袴姿で卒業式に参列します。この袴はレンタルではなく娘のものとして用意したのは、
教師になることを想定していたから。

そして私は、あの群馬での登壇スタイルとインナーが違いますでしょ。
明治神宮にて、記念写真を撮ったので、こちらも一生、私があの世に行っても、恥ずかしくはないスタイルで。

ギフトファッションは サステナブルである。


自己満足で終わらないギフトファッションは、自然にサステナブルな選択をしている、これは私自身日々実践しているし、学びを得た生徒さんたちもこのことを実感しているはずです。

「相手や場」があってこそ、という感謝の気持ちを込めるとき、必ずしも新しい服を着て散財したから伝わった、なんてことは正直一ミリもないですね。
服買わなきゃできないんでしょ、という質問も受けるけど、その真逆にあるのがギフトファッションだと思う。

生徒さん方も学校に入って以前より服を買わなくなった、とよくいっています。

もちろん得た学びから、自分にはこういうものがなかった、と気がつき、
なぜ今まで表面的なものばかり買ってきたのだろうと愕然とする人は多い。
本当に必要なものを吟味して購入するようになりますね。

ちなみに私が娘の成人式の際に着ているワンピースは 24歳のときに買ったtokio kumagaiのベーシックなウールのワンピースです。だから35年もの。
桜の木の下で着ているアーガイルセーターは37年もの。
夫がアパレル時代、マーチャンダイザーに就任していたスポーツブランドのもので、上質なカシミアの風合いは今もなお健在。

たぶん、この2着とも、娘に引き継がれるでしょう。

他画像のものも、
オール30年選手、という服ばかり。ファストファッションなど、最近のムードのものとミックスさせるけど、それも使い終えたらリサイクル箱があるブランドを優先するので、すべて「回している」感覚です。


この事例でわかるように、私の装いは、世の中によくある●●別だとか、●●タイプだとか、表面的に似合うには縛られず、服で無駄な散財はしない、大事なものを大事に長く着用し、遊ぶアイテムはリユースする。

似合わない色もシルエットも特に避けてもいないし、表面的な似合うかどうかは工夫次第で何とでもなるから。

誰と生き、どこに行き、何をするのかをしっかり分析して、自分勝手でないチョイスをする、結果、地球環境にも優しい衣服生活をしているのですよ。

だって、パーソナルの意味を表面的なものとして捉えてなかったから。

自分で哲学を作るしかなかった。


こうした概念と、日本人の気質にも沿ったフィロソフィー。
どこにもないので作るしかなかった。

作り続けているうちに、商標も 社名を入れたら6つになったわけです。



パーソナルスタイリストの創始。

装いはギフトというフィロソフィーが生まれていった背景。


私がなぜ、日本でパーソナルスタイリングを立ち上げ、「装いはギフト」という言葉を生み、それを提唱してきたのかは、日本と海外の違い、という体験が大きかったと思います。


アパレルファッションデザイナーを経て、イタリア移住時


日本とイタリアの違いは、書き出せば切が無いが、今回は贈り物についてのみを。

海外では、お返し文化は存在せず(日本的な国もあるとは思いますが)
またプレゼントを贈る際は、その場で開いて自分も大喜びしながら、渡しますよね、笑。悪い意味じゃなく 大げさに。
日本だと、あとで開けてみて、なんて普通だ。
その場で開けてみて~というのも増えたけど、海外のそれとは大きく違う雰囲気だと思う。

道端に(いや 道の真ん中にも)お花が売られているのも当たり前で、何かというと男性は女性に花を贈る。ある意味 夢のような日々を過ごしていたかも。笑

3月8日は国際女性デーですが イタリアでは沢山の花束が女性たちに贈られたはず。花束をがっつり担ぐメンズ姿って、別に自分にじゃなくても
超萌えるシーンなのよね~

贈り物は日本と同じようにあらゆるシーンでギフトされるけど、先ほども書いたように お返し文化はないんだよなぁ。

お返ししないのは失礼!なんて思ったことはなく、逆に楽でもあるんですが、日本の場合は、ホワイトデーなんて名前がついているからシャイな性格でも行動する人が多いのかもね。

こういう文化は、日本人の感謝の気持ちの表れ、表現のひとつなんでしょう。

日本人は気遣いすぎ、とも言われるけれど、その文化があるからこそ、日本人がビジネスの場にいるだけで話がちゃんとまとまったりもする。笑

といいながら、、こんな日本人の長所は、実は私にとっては長年生き辛さに繋がってもいたのですが。⇒どっちやねん

例えば遅刻なんて、まぁ当たり前なイタリアで暮らしていた際は、
私自身、水を得た魚のように生き易かったし、人目を気にしなくていい環境で病気一つしなかった。
人一倍いろんなことに気がつくのに、それを表現できなくて要領が悪かった幼少期、親にとっていい子になろうとして喘息や持病が悪化、命の危機から脱出する為に、親にも反発、私は私を生きようとした。
親や一般常識的な社会の価値観からはもう、出ようと思ったんですよね。

日本と海外、その両方の感性を取り入れたい


そんな本質を持ちながら、海外での暮らしの中では逆に日本のよさ、日本人のよさ、が引き立って見えるようになった。飛び出したからこそ、俯瞰して考える機会になったのだろうと。

そして自分自身の中に、両方のよさをミックスしていく新しい生き方を見出していった。ライフスタイル、服装の考え方、衣食住、その先にパーソナルスタイリングという言葉が浮かんだ。

ファッションに答えはない。あるのは自覚と問いだけだ。

そして、夢がなくてはならない。

2001年当時、まだ日本には一人として存在しないパーソナルスタイリストという職業を世に創始するに至った。

アメリカ式の、イメージコンサルタント、というネーミングの職業はあったが私にはどうもピンとこない。学ぶほどに、技術的な必要事項ややり方はわかったが、最終的に何ががしっくりこなかった。

似合う色、似合う形、似合うデザイン、プレゼンテーションを行う日は赤いネクタイ、といったような「答え」がバッチリあることは、わかりやすいが日本の侘びさび文化には少し違和感があったのかも。
そう お返しをするような、ね。

何かパズルのピースが足りないのでもなく、文化の違い。DNAの違い。のようなズレ。このズレを感じた以上、何か在るものに従うのは無理だった。

もちろん、習得した技術(例えば色やデザインの似合う傾向についてなど)は役に立っているし、否定的な意見を言っているわけでもない。

文句を言うなら自分でやろう、ということで、まずは職業名から考えた。

以後、現在に至る。

贈り物、お返し文化からの ギフトファッションをメタ考察。

ギフトファッションにも落とし穴は、ある。


ここでホワイトデーの話に戻りますが

ホワイトデーの由来を、私は正式には知らなかったのだが 「全国飴菓子工業協同組合」が キャンディー販売促進のため「ホワイトデー」を発足した説のほか、2つくらい説があるみたい。

(3月14日という日にちは、3世紀にローマで恋愛結婚禁止令のもとバレンタイン神父に救われた男女が、愛を誓った日に由来しているらしい。)

だから嫌い、商戦にのりたくない、という声も多そうだけど、そんなことどうでもよくて。


贈られて嬉しかった、じゃぁそのお返しをルールだからとかでもなく何気なく返し合っていく。それは物じゃなくとも気持ちの問題だから。


だから服も、ギフトな考えが義務的になるのもおかしな話。


機嫌よく、楽しくやるから素敵なことなのよね。


ギフトの押し付けは勘弁。スマートではない。

ギフトファッションは、自己満足と押し付けが一番怖い。

「今日あなたのことを思って装ってきたの、これがあぁであれがそうなのよ」と押し付けられたときにゃ、相手もたまったもんじゃない。

理屈がそのまま素敵には結びつかないのがファッションでもあるし
ギフトな精神があるから何でもOKってことではなくて。

普段ならさりげなく、相手が気がついてくだされば嬉しい、そのくらいの配慮がお互いにハッピーであり、スマートだと思う。


ギフトファッションは戦略にもなり得るからこそ。


さきほど、さりげなくと書きましたが、ビジネスの上での装いの場合、相手を思う気持ちからの装いは、結果的に戦略にもなります。

クライアントのために考え抜いた服装で臨めば、その存在自体がプレゼンスに一役買うことになることは想像がつくでしょう。

しかし「戦略」が先になると「計算」が相手に伝わり、服装に限らず相手に
あざとさが伝わることもあり、私はあまり賛成しないかな。

ビジネスとは違いますが、わかりやすい事例で言えば、よくある「モテファッション」というような不特定多数に対して平均点を挙げるようなアザトイものではないということ。(もてたい⇒もてそうな服を着たい、という気持ちを否定しているのではなく)

そして、ギフトファッションを身に付ければ、他者へのギフトになると同時に自分の身を守り、服装で恥をかくようなことはなくなります。


最後に・・・相手を大切に思う。

自分も大切にされているような感覚は幸せ。

ギフトファッションは、今日会う人への思いやり、だとしたら
準備をしている時間も幸せ。

その気持ちを受けた相手も幸せ。

なんだか自分が大切にされたような気持ちになるでしょう。

お互いがハッピーなのです。

弊社併設ファッションスクールで学ぶ生徒さん+学びを見守るご家族や
ビジネスでこの感覚を日々生かす顧客さんたちが、実際に日々意識して
装うようになった先には

過去、ファッションとか関係ないことで悩んでいたことが、服装から解決された、という声も多い。

それぞれの人の人生に、それぞれの威力を発揮するギフトファッション。

今日のあなたの装いが、今日会う誰かのギフトであるなら
世の中はもっと、ハッピーに輝いているはず。

すべての人が、表面的な似合うを越えた メタファッションスクールで
ギフトファッションを体得してほしいなぁと心から願っています。

※学校全貌HP公開は間もなく。


▼存在そのものがギフトだった顧客・魂友の話。

▼ファッションって、本当は嫌いな人も多いのよね。
でも 在りかた や ギフト の哲学を伝えると、嫌いだったことが勿体無かった、と心を改める人も多い。

https://note.com/junkomasachika/n/na78ab8d29f53




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