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言葉のイメージダウンはもったいない

「勉強」とか「仕事」とか、そういう言葉を聞くとウッとなる。
嫌だなぁと思う。
「人生死ぬまで勉強だ」「人生の大半は仕事だ」なんて言われると、マジで勘弁してくれという気持ちになる。

しかし、勉強や仕事は、果たして本当に嫌なものなのか。
きっと違う。
ずっと昔からの言葉のすり込みで苦手意識ができてしまっている。

本来「勉強」というのは、”知らないものを知る”という素敵な行為なのだ。
知識を得ることで世界が広がり、また新しい経験になり喜ばしいもののはずなのだ。

しかし、「勉強したの?」「勉強しなさい」「勉強しないなら遊びも禁止」
そんな言葉を子どもの頃に何回も何回も聞いたから、「勉強」という言葉が嫌なものになってしまった。やりたくないもの。めんどくさいもの。そんなイメージが付いた。

今まで知らなかった新しい物事を知ってみよう!
と言われると、ワクワクする。
しかし、新しい物事を勉強しよう!
と言われると、えーめんどくせーとなる。

「人生死ぬまで勉強だ」という言葉は、人生はこの先もずっと今の自分には知らない物事が待っていて、それを知る度に世界が広がる。という意味なのだ。
しかし”勉強”という言葉によって嫌なものになっている。
言ってる側も「どうだ、嫌だろ」という意味合いで言ってる気がする。

「仕事」に対してもそうである。
自分が頑張って評価されて対価がもらえる。
自分を認めてもらえるという素敵な行いなのだ。
しかし、やらなければ生きていけない。やらなきゃいけない。という使命感と強制力で嫌なイメージがつく。

また、特に日本はまだまだ一度就いた仕事を辞めることはよくない。だとか、歳を取ってからの転職は不利で普通の暮らしができなくなる。みたいな価値観が根付いている。

せめて「勉強」だけでも、子どもの頃に学校や家庭で言われる言葉と、大人になってからの学習で言葉を変えると、大人になってからの精神的負担が多少は減るのかもしれない。
減らないのかもしれない。

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