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DISH/あいみょんの「猫」〜言葉フェチによる歌詞分解〜


家の中でも外でも
僕は毎日ヘッドフォンしながら
生きています。

最近は、世の中に二周か三周は遅れて
「猫」にハマっています。

Dishバージョンと
あいみょんによるセルフカバーバージョンの
どちらが好きか

ファンにとって楽しい議論。

綺麗な声で切なく歌う北村さんの声も良し
退廃的で演歌のように
心に染みさせるあいみょんさんの声も良し。
あいみょんさんは現代に昭和歌謡を蘇らせた事で
トレンドの音楽にハマれない層
にとっての救世主となっております。

さてこの「猫」
多くの方が気付いていると思いますが、

歌詞が凄い

ですね。
こんなに見事に言葉遊びしている歌は珍しい。
言葉遊びはラップ の本領だ
と説いている僕にしても
こんな面白いのなかなか無い!
と思っています。

まるで映画「TENET」のような
謎解きの楽しみがあります。
特に「繰り返し」と「対比」に溢れている。
それを言葉フェチが解説したいと思います。

夕焼けが燃えてこの街ごと
飲み込んでしまいそうな今日に
僕は君を手放してしまった

冒頭からとんでもない表現力。
芥川賞作家も真っ青の美しい描写です。
僕は江國香織さんの
「落下する夕方」を思い出しました。
あれも失恋の話ですね。

言葉が風景をありありと
イメージさせてくれます。
そして「夕焼けがこの街を飲み込んでしまいそうな今日」
は、誰かといたくなるような日なのに
寄りによって「僕は君を手放してしまった」
という行間読みをさせます。
人恋しいこんな時なのに、て。

誕生日の3日前に
「お祝いしちゃうと悪いんで」とかいう
謎の理由で振られた
あの時を思い出しているのは
僕だけじゃないでしょう。ええ、ええ。


今日、昨日、明日

普通に聴いてる時は意識しなかった事なんですが
この歌詞は「今日」に始まって
「昨日」を通り越し
「明日」へ行く
構成です。

この3つがそのまま全部出てくる歌詞は珍しい。
「夕焼けが(略)飲み込んでしまいそうな今日」
「明日が不安だ」
「明日ってウザいほど来るよな」
「昨日の事など幻だと思おう」
また、「日々」「毎日」と時間を表す言葉も多い
時間を表す表現が多く
「どの時間にも君が溢れていて困る」
という甘い失恋ソング、なのです。


繰り返し

は、音楽や詩など
音を伴う言葉表現
には非常に効果的です。

だけともそうはいかないよな
明日ってウザいほどくるよな

というような、
語尾だけ同じにすると
リズムがつきます。
やりすぎると日本語下手な人みたいになるので
2回までにしているのが秀逸。
これはいわゆる「韻を踏む」とは違います。

家まで帰ろう
1人で帰ろう

この繰り返しは
「変化した部分を強調する」為に使われています。
 家まで
 1人で
つまり、これまでは家まで帰るのは1人じゃなかった
という想像をさせます。
そして、その変化に伴う感情も。
「そうか、今日は1人で家に帰るんだ」
と言ういつもと違う事
がこの繰り返しだけで
じんわりと伝わるようになっています。
素晴らしい日本語の世界。


対比

は僕の大好きな表現法です。
だからこれだけ多用されている
この歌詞は大好物。
しかも「普通じゃない」対比にセンスを感じます。

心と体が喧嘩して

これは表現上の、対比ではなく
意味上の対比。
心と体が喧嘩する
なんてかわいい表現ですよね。

面白いくらいにつまらない

これも素敵表現。
面白いくらい○○と言う強調副詞を
つまらない、と言う逆の印象を受ける
形容詞に繋げてます。
意味も伝わりやすい。

全力で忘れようとするけど、全身で君を求めてる

全力・全身と似た意味の表現で
逆の意味を強調している。
まさに「心と体が喧嘩」している状態
ここで表現してるんですね。
頭ではわかってるけど、体が寂しい、、、
まさに失恋!失恋オブ失恋!!

ライミング(押韻)

ロックの歌詞って実は結構韻を踏んでいます。
韻を踏むことの一番の良さは
言葉にリズムが生まれる」なので
音楽のジャンルを問わない。
この曲も幾つか韻がありますが
一つ凄いのがあります

君の顔なんて忘れてやるさ 馬鹿馬鹿しいだろ、そうだろ
がんじがらめのため息ばっか 馬鹿にしろよ 笑えよ

歌を聴いて「おお!?」と思う人も多いのでは。
言葉の切れ目が
歌詞と歌う時で違う
んですね。

忘れてやるさ馬鹿、馬鹿しいだろ

これはいわゆる「小節をまたいだ韻」と言う高等技術です。

ため息ばっか、馬鹿にしろよ

と、今度はちゃんと
小節ごとに切れた言葉なんですが
バカバカシイとバッカバカニ
韻として成立している。
ここの歌い回しが
この曲で一番かっこいい所だと思います。
あいみょんのやってやった感を感じます。


他にも地味に踏んでいるところ

飲み込んでしまいそうな今日に
だからこの僕も一緒に

文字で見ると違うんですが歌い方として
そうな今日に「おっおあおおい」と
も一緒に「おおいいっおい」と
同じAメロの同じところで踏んでいます

あと韻として見逃されがちなんですが、

猫になったんだよな君は
いつかフラッと現れてくれ

「なった」と「フラッと」の「あっ」は
同じ場所で同じリズムを狙って置いているので
「押韻」と言えます。
意識して作っているかはわかりませんが
歌のリズムを作るのに超重要な部分で
短い音ですがこれも立派に押韻です。

更に隠れているけど良いのが

家まで着くのが こんなにも嫌だ 歩くスピードは

細かくて気づかないんですが
ツクゥノガの後半、コンナニィモ、スピードハと
一部ずつかかっていて
言葉の聴きやすさを作っています。
きっちり同じ母音で踏むのが
韻と思われがちですが
むしろリズムを生むことの方が重要です。

歌の聞きやすさというのは
メロディと言葉の調和で成り立っています。
そのためにこんな密かな工夫がされているんですね。

最後に、この歌最大の秘密

この歌が、本当に「対比」の歌だなあと思うのは、
全体のテーマにありますが、
みなさんお気づきでしょうか?

猫になったんだよな君は
もし君が捨て猫だったら

と歌っているんですが、、、

このどうしようもない気だるさも
心と体が喧嘩して 頼りない僕は寝転んで

どう見ても、猫になってしまってるのは、
歌っている人の方
なんですよね。
君、じゃなくて。
だから「猫になって現れたら
抱きしめて傷拭ってあげるのに」は
私は猫になっちゃっているから
抱きしめてこの傷拭ってよ

て意味なんですよ!!
なんですよぉ!!!!

もう忘れる忘れる言いながら
結局好きだ好きだ言っていて
明らかに失恋の歌なんだけど
最後はまたフラット現れてよ
なんて歌っている
この超ツンデレ具合がもう、
あいみょんかわいいなぁ。ってなるんです。

繊細な高等表現もしたかと思えば
いじらしいかわいい表現もする
そういう意味でも、ほんと良い曲だなあって思います。

以上、名曲「猫」の歌詞分解でした。
今日も良い1日を


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