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アラフォーの私の恋愛が上手くいかなかった理由はここにもあり 地元を離れた理由

私は21歳で地元岡山を出た

それは当時、エステサロンで入社して半年の時

「大阪が人が足りていないから誰か行ってくれないか?」

その言葉に速攻で店長に「行きたいです」と伝えた
条件は1週間後

マンションは会社が用意してくれるけれど3割負担でいい。
ただし住まいは大阪の谷町9丁目
勤務先は兵庫県の川西

大阪なんて、美容師の試験で行った以来。
土地勘も何もないけれど
当時の私はそんなことどうでもいい
地元が離れられるなら・・と
「大丈夫です」

親には急な転勤になったと言えばいいと思い
転勤することが決まった。

ある意味この頃が大きなターニングポイントだったのかなと思う。
今思えばよく決意したな 笑

両親には納得してもらえないことはわかった上で
話し、もう決まったことだから仕方ないと言って

準備を進めた
母からは何度も「断れないの?」の言葉

でも私には岡山という地元にいることが
そもそも苦痛でここにいると未来がないとさえ思っていた

当時の私は「ただ幸せになりたかった」

県外に出て、新しい環境に行けば
新しい友達ができて、新しい彼ができて
仕事の幅も広がり
結婚して、都会の暮らし幸せな暮らしがを満喫できるんだと

思っていた

実際大阪に行き
とにかく楽しい日々だった

谷町9丁目から兵庫県の川西まで片道1時間半
往復3時間かかる通勤

当時のエステサロンは朝練夜練は当たり前で

朝練8時から夜は営業後の練習で終電
時に終電を逃し2つほど離れた駅から歩いて帰る日々もあった

それでも音楽が好きでクラブ通いをしていた私

地元の岡山でも夜クラブに行けば友人たちに会えるくらい
クラブで待ち合わせもしていたくらい

大阪ではたくさんのクラブがあり
一人で行くのも当たり前に行けたんだ

夜0時過ぎてHIPHOP R&Bのイベント時に一人で行き
普通に一人でいるからある意味目立っていたんだと思う

主催者の人や
当時のDJの人に声をかけてもらい

音楽好きを熱弁
そこから友達も増えていった

以前からクラブでナンパする男子には
非常にクールで(イキってたな笑)

「クラブに何しにきてるんですか?音楽聴きにきてるんですけど💢」

ドン引きをされる始末

そんなクラブで遊びながら友達も増えていく中で彼氏もできた

仕事はもちろんきつくていつでも辞めたいと感じていたけれど
彼氏ができたことでホッとしては

早く結婚して

「楽になりたい」

そう感じるようになっていった

同棲もして、結婚の話もでたけれど
私の中には

「もっといい人がいるんじゃないか」

相手のダメなところに目がいっては気になり
しまいには許せなくなっていったんだ

当時よく覚えている
深夜にオバマ大統領が
「Yes We Can」と熱弁している姿を見て

その言葉と同時にその日の夜
彼に別れを告げた

その後も沢山の恋愛
不倫もDVも経験した


恐怖や罪悪感
自己否定に自責の念

けれど同時に特別である
特別であれる自分に安心していたんだ

そしてどうしようもなくなっては
婚活アプリにハマる

「幸せになってやる」

根性や執念とも言うくらい
過去に私をフった男性たちに

「見てろよ」

と言う復讐のような思いもあったんだ

もちろんその後の恋愛も上手くはいかなかった
100人以上にあっても
「幸せな結婚がしたい」
その奥には


「誰かと比較してもより良い結婚をしてより幸せになる」
「誰にも負けない」

相手の嫌なところにいつも目が行っては
上手くいかないと相手のせいにもする


なぜ私が
その沼から抜け出せなかったのか


それは自分の中に
「復讐」や「怒り」という感情があったから


劣等感の塊だったんだ

自分に都合が悪いことが起こるたびに
「見とけよ」と感じては

その怒りが次のやる気を駆り立てた


地元を出たいと思った私は
中学高校と恋愛をしては
それなりに傷付いたり幸せを感じてきた

当時
友人が多い方だった私は
周りからいろんな話を聞く

「あのことあの子が付き合ってるらしいよ」
「あの子とあの子がよりを戻したらしいけど、元カノとは続いているらしいよ」
「あの子は不倫してたのが、あの子だったらしい」

うんざりだった

全部私の知ってるグループは違うけれど知ってる人
みんな狭い地元の中で

みんな順番に付き合って回ってるのかな??
みんながみんなの元カレで元カノで

何やってんの?
「気持ち悪い」と嫌悪感まで抱いては

「私が求める人はここにはいない」


地元では恋愛しないと決めた自分がいた
だから地元を出た

「私は真面目でちゃんとしている。みんなとは違う」

しょうもない理由だったかもしれない
けれどその時の私には耐えられなかったんだ

そんな話し聞きたくもなかった

「ここにいては幸せになれない」

それは
私の中の狭い狭い世界で見えていた現実

私の中にあった
「幸せへの条件」

その友人たちを悪者にして自分を正当化していた

私はそんな恋愛はしない
私はみんなより幸せになってやるんだ

誰かを蹴落とし否定することで
安心していた

私の幸せの条件は
「誰かと比較すること」になっていた

だからどこまでいっても
どんな人と出会っても

「もっといい人がいるんじゃないか」
「もっと違う幸せな未来があるんじゃないか」

誰かとの比較で
幸せを求め
幸せだと感じては
より幸せな人を見て求めにいく


目の前の現実を見ることなく求めていったんだ


知らず知らずに傷付いた心は
寂しさからいつしか怒りに変わり
復讐になっては

ずっと周りと闘っては
周りと比較し、自分を責めていた

いつも本当に求めた幸せは
目の前にあったのに

そんな幸せに
そんな自分の心にさえ気づくことなく・・

けれどこれが私の「本音」であり

私が創り上げたシナリオなんだ

気付くには長い道のりだったかもしれない

でもこの経験が今の私を創って
今人の心やマインドを変えるお手伝いができている

全ての経験がギフトでしかない

人は時に自分を振り返っては
彷徨う人も多いと思う

必ず気付く時があるだろうし
今の自分にうんざりすることもある

そんな時は
本当に誰でもいいから

「本音で話せる人」

を見つけてほしいと思う

環境を変えるだけ
行動を変えるだけでは本質的には変わらないこと

心の奥にある本当の本音の部分に触れること

そして自分を励ましては
あやしてくれる人ではなく

陰と陽
両方の側面を見てくれる人

自分で自分を俯瞰できるようになると
人生はさらに加速する


そしてどんな感情体験もギフトだと感じられるから

私はそんなメンターであり続けるし
自分の陰の部分を認められた人の可能性や幸せの総量も
さらに広がることを体現しているから













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