二村研究室

世界の教養語であるフランス語を武器に、国境とジャンルを超え、なりたい君になろう! ジャ…

二村研究室

世界の教養語であるフランス語を武器に、国境とジャンルを超え、なりたい君になろう! ジャーナリストとして40ケ国以上を訪れ、今は大学教員。リアル研究所は調布市。研究書・翻訳書・エッセイなど、これまで20冊以上を出版。比較文化研究者。熱烈なまめおやじファン。

最近の記事

東アジアのカトリック建築 Phát Diệm

フランス人芸術家が絶賛したベトナム建築 ベトナム近代藝術を研究していたなかで、ファッジェム大聖堂の存在を知りました。ハノイにつくられたインドシナ美術学校の校長であったヴィクトール・タルデュー(詩人 ジャン・タルデューの父)が、このファッジェム大聖堂に大きな感動を受け、これをモデルにベトナムの藝術(とくに建築)を創出していくべきだという旨を述べているのです。タルデューは、ベトナムの藝術をつくっていくためには、フランスのコピペはダメと言っています。かといえども、ベトナム古来のもの

    • 新刊『ベトナム近代美術史』あらすじ

      今月頭に、新刊『ベトナム近代美術:フランス統治下の半世紀』(原書房)を上梓した。10年間以上もかけて調査・執筆した論文「安南藝術からベトナム美術へ」(東京大学大学院 提出)の書籍化だ。ちょうど、娘が生まれる一年前から研究に手を付けた始めたのだが、産後すぐに中断した。育児をなめていたのだ。夫に定期収入がないこともあり、働きながら書く必要があった。論文は、先の見えないマラソンのようだったが、友人、恩師、家族の協力が身に沁みた。途中、住友生命から奨励賞の助成金をいただいき、ありがた

      • 多言語話者の密な愉しみ(パロールの勝利 3)

        多言語話者は、1つのPCに複数のシステムが入っている状態なので、普段は混じることはあまりない。でも、一度「骨折」すると、強烈なイメージを残すことがある。脳裏にこびりついて離れない日仏記号をご紹介したい。 ⑪Bimbo暇なし。 英語と同じで、フランス語でも、超セクシーだけどあまり知的ではない魅力的な女性を「Bimbo」という。もとはイタリア語だという。大昔、映画で「ヒュ~ ♪ Bimboちゃんだぜ」みたいなセリフを聞いて以来、「Bimbo=セクシーでお金がない女性」と勝手な

        • 日仏家族の頭の中(日本語に聞こえるフランス語 その2)

           どうしても日本語にしか聞こえないフランス語がある。空耳単語と言ってもいいし、T先生が指摘してくれたようにギャグ単と命名してもいいかもしれない。でもよく見たら動詞が入っていて「文章」になっているものもある・・・。  ⑥ ミント水は万太郎の味。  Menthe à l'eau (マンタロー)は、思いっきり日本語の「万太郎」だ(M大学のE先生に言われて思い出した)。mentheはミント。eauは水。付属・特長を表す前置詞「 à」がついて、ミント水と訳される。夏の定番、大人も子

        東アジアのカトリック建築 Phát Diệm

          日本語に聞こえるフランス語 (パロールの勝利 その1)

           単なる駄洒落というなかれ。パロール(実際の発話)が、ラング(意味の法則)から逃げ出す契機は、外国語との出会いや、同音異義語との出会いだったりする。言葉が、従来の記号からスルッと逃げ出し、非主体的かつ偶然的な意味(あるいは無意味)に置き換えられる瞬間は、アナーキーで美しい。  最近の言葉でいうと、いわゆる「親父ギャグ」なのだが、親父だけのものにしておくのは勿体ない。親父ギャグを「寒い」といっている間は、まだまだ体制側に取り込まれているのだ(デーブ・スペクターを見よ)。という

          日本語に聞こえるフランス語 (パロールの勝利 その1)

          外国語という新しい地図

           正射図法とか、メルカトル図法とかいう世界地図などを学校で習ったことがあるだろう。 地図が違えば、見ているものも違う。世界の見方は決して一つではない。グード図法とか、フラー図法なんていう世界地図もある。同じ場所でも、地図によって別物に見える。地図は世界観だ。  言葉もまた、地図のように世界を表し、それぞれの言葉は異なる世界観をもっている。例えば、「イタリア語」や「フランス語」という地図には、男・女という性がある。 英語は外国語のスタンダートではない 国立大学に勤めていた頃

          外国語という新しい地図

          日本語の思考枠の外へ出ていきたい君へ

          外国語は単なるツールではない 母国語で考え、母国語で生活していると、思考がワンパターンになってしまう。想像力や創造力があったとしても、蜘蛛の巣に捕れるように、母国語の思考枠の中に留まり続け、がんじがらめになる。  だからこそ、EUでも、アジアでも、中等教育から第二外国語を学習することが義務付けられている。必ずしも第二外国語をレベルに流暢に話せるようになることがゴールではない。「母国語とは違う思考がある」と気づき、世界の多様性に気づくために学ぶのだ。自分の物差しで世界を測ら

          日本語の思考枠の外へ出ていきたい君へ