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寺山修司の色紙 〜書斎の中の仲間たち〜

 「百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」 こんなことが書かれた色紙が書斎の扉の上に飾ってある。二十歳くらいの時だろうか? いや、もしかすると十代だったかもしれない。池袋の西武百貨店で催された “寺山修司展” 、もしくは “寺山修司と天井桟敷展” 的なものだったかもしれない・・・正直、タイトルは失念してしまった・・・で購入したモノ。レプリカの色紙。要するに直筆を大量にコピーしたモノ。購入後すぐに別のフロアで額を購入したことをよく覚えている。

 実のところ、寺山修司にも天井桟敷にも特に思い入れはない。というか、寺山修司氏がご活躍されていた時代を知らない。当然、天井桟敷の芝居も生で観たことがない。要するに時代の “空気感” といった様なものが分からないのだ。タモリさんのモノマネではお馴染みだったが、あとは “顔を白塗りした気持ち悪い格好ないしは裸で変なお芝居をやっている人” といった印象ぐらい。寺山修司氏ご本人の印象は? といえば、子供の頃、学校から帰宅した際に祖母が見ていたテレビのワイドショー・・・CX「3時のあなた」もしくはTBS「3時にあいましょう」だったかと記憶している・・・で報道されていた ”ノゾキ疑惑” だろうか。すなわち、 ”白塗りで裸同然” といった天井桟敷のビジュアルも相まって、それはお世辞にも “良い印象” と言えるものではなかった。その “危険な魅力を有するある種の悪魔的な存在” は、多感な時期の少年の目に “決して足を踏み入れてはいけない世界“ として映っていたとしても想像に難くない。

 さて、その展覧会がどうだったのかと言えば、まあ一言で言えば “ピンクのお化け屋敷“ とでも言ったところだろうか。そうそう、谷川俊太郎氏と寺山氏のヴィデオ文通みたいな映像も流れていた様な気がする。ヴィデオ版往復書簡といった趣。

 後日、ヴィデオで「書を捨て町に出よう」を観た。正直、憂鬱な気分になった。そう、忘れもしない! その日は “その憂鬱な気分” を抱えたままシノーポリが指揮するウィーンフィルハーモニーの来日公演を観に(聴きに)行く羽目になった。リヒャルト・シュトラウス作曲の「ドンファン」冒頭、あの駆け上がる様な快活なパッセージにすら、まるで雲がかかっているかの様に思われた。寺山修司VSリヒャルト・シュトラウス・・・寺山修司の勝ち! お次のマーラー作曲、交響曲第1番「巨人」も然り。寺山ワールド2連勝!!

 あれ以来、寺山修司とは距離を置いている。
 
 Q. 私にとって寺山修司とは何なのか?   A. 分からない。

100年後にでも考えてみたいと思う・・・きっと、その意味わかるはず。

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