見出し画像

もうパンクロックは聴かないけど。 〜ジョーストラマーと緑色の革ジャン〜

近ごろやかましい音楽を聴くことが減った。オッサンになったからだろうか。若い頃はハードロックもメタルもパンクも好きだったのに、今ではYOASOBIとかをノリノリで聴いている。歳を食ったからうるさい音を好まなくなったのか、若くなくなったから若者のメッセージに共感できなくなったのか。どっちもか。

少し前にSpotifyでaikoが聴けるようになった時、若い頃にカラオケでaikoをよく唄っていたらしい美しい妻が喜んでいた。しかしいざ久しぶりに聴いてみると「なんか昔みたいにグッとこないんだよね」との感想。恐らく曲の中で語られる乙女心に共感できなくなったからではないかと思った。

そんな話はどうでもよくて、昨年末にYouTubeで写真家・ハービー山口さんが話されているのを見た。そこで何度も語られているジョーストラマーとのエピソードがあり、地下鉄で撮ったという若き日のジョーストラマーが映し出された。 

↓ Pinterest より↓

カッコいいという言葉の遥か上を行くカッコ良さ。

ボクがクラッシュを聴くようになったのは90年代なので70年代のジョーストラマーの姿を目にすることはほとんどなかった。

そして時が流れて2002年。福岡にいた頃、来日公演で博多に来ていたジョーと街中でバッタリと出くわす。当時のボクはジーンズメーカーに勤めていて、この時は親富孝通りのクラブを借り切って展示会をやっている最中だった。

確か先輩たちと休憩で外に出て街を歩いていた時、道の反対側をジョーとその他数名のスタッフが歩いていて先輩たちは大騒ぎ。ボクよりもパンクにハマっていた世代の先輩たちは少年のように駆け出す。

サインや写真に気さくに応じるジョーストラマー、当時50歳。その時に貰ったのがこの緑の革ジャンの背中に描かれたサインだ。

画像2

さりげなくデザインされていて、道端で描いてくれたにも関わらず随分丁寧にペンを走らせてくれたことを覚えている。このサインを貰ってから大切にするあまり、着づらくなってしまった。そのせいでもう一着Vansonの緑のライダースを買ったのだった。

そしてこの3ヶ月後の2002年12月にジョーは心不全で亡くなってしまった。50歳という若さで。

ハービー山口さんの映像を見てこの革ジャンを引っ張り出した。お寺の灯籠に生えたコケの如くカビにまみれていた。カビを丁寧に落として写真を撮った。

あの時に親富孝通りで一緒に撮った写真はずっと職場のデスクに貼ってあったけど東京に転勤した時に紛失してしまった。ハービー山口さんのおかげであのときの記憶が蘇ってきたので革ジャンのカビを綺麗に拭き取ったついでに書いてみた。

気づいたらあと数年であの時のジョーストラマーと同じ歳になる。もうパンクロックは聴かなくなってしまったけど、カビが生えてもこの緑色の革ジャンはずっと大切にしたい。

ハービー山口さんの映像はコチラ。ジョーストラマーを撮った時のエピソードがしびれるほど素敵なのでぜひ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?