うつき

「新・小説のふるさと」撮影ノートより『花腐し』について思ったこと。

 男の小説だなぁ、というのが最初の印象だった。
男の悔悟、そのあきらめ、どうとでもなれという気分。久しぶりに壊れ行く男のいい気な甘えを見たとおもった。男の小説を読んだのも久しぶりだった。クッツェーの『恥辱』以来かもしれなかった。

 そのころ僕はちょうど「松岡正剛の書棚」という写真展を表参道で行っていた。最終日の前日、その地震が来た。幸い地下の画廊には影響がなかったが、最終日には撤収に行けずに一日おいてようやく作品を引き取りに行った。
 津波のあとに原発がただれ落ちた。計画停電が始まり、スーパーも閉じて食べもなかった。車のガソリンもほとんどなく、家族はインフルエンザに罹った。意味のない広告機構のCMいらいらしながらも、自分から積極的にできることは何もなかった。そして20キロ圏内の立ち入り禁止が命令が施行される前日に僕は福島に行った。それはジャーナリスティックに写真を撮るためではなく、ボランティアでもなく、自分の無力と恐れの元凶をただ見届けるためにいった。

 なにかが解決したわけではなかった。無力は無力のままであった。だが何か正体のようなものを見たと思った。

《卯の花を腐らす意から。「うのはなくだし」とも》卯の花の咲いているころに降りつづく長雨。五月雨?(さみだれ)?。季語としては「花の雨」と「五月雨」との間。《季 夏》「さす傘も―もちおもり/万太郎」
(デジタル大辞林 より)

咲き誇る空木は葛西臨海公園で見つけた。

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