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「新・小説のふるさと」『由熙(ユヒ)』と李良枝についておもったこと。取材ノートから。

ソウルの出版社に行く用事ができた。その折に李良枝ゆかりの場所に行きたいといったらヤンジの妹の栄さんからこんなメールをい ただいた。
>姉の住んでいた住所です。姉のお友達のファジャさんから以前聞 いていた情報も付しておきます。
> 良枝オンニは、考子洞(ひょじゃどん)という所にいた際にアラー キーも訪問して屋上で写真をとってもらい、木蓮の花がいっぱいあ った。ミンジャさんと同居した最後の家。光化門の裏の方よ。近く に土俗村というサムゲタンのおいしい御店がありそこへ御客さん を連れて行ってた・・・。

仁川には午後四時ごろについた。少し蒸す 5月のはじめ、空港から高速鉄道でソウル市内の鐘路区の林とかいてイムと読む安宿についたのは五時半過ぎだった。昌徳宮はすぐのところにあった。あらかじめ地図で調べてあった孝子へも 30 分もあるけばたどり着けるのではない かと思った。夕暮れが迫っていたがあまり写りの良くないコンパク トカメラをぶらさげて夕方の街にでた。
僕は李良枝と直接あったことはなかった。リービ英雄さんに彼女 のことを聞き、著作を読み、ふとしたきっかけで妹の栄さんと知り合いになった。あるとき李良枝の書棚がまだ残っているのを知った 。李良枝が亡くなったとき彼女のお父さんが大久保のマンションの 屋上に李良枝コーナーをつくりそこにそっくり移した書棚がある とのことだった。栄さんにそれを撮りたいといったら、彼女は快諾 してくれた。そしてその撮影の時に僕は初めて李良枝の片鱗に触れた。
李良枝コーナーは六畳間ほどのプレハブ造りの部屋で、その日階段を上るとコーナーのカギはもう開かれていた。強い意志が美しさの中に見える李良枝のポートレート。何枚もの記念写真が祭壇のようにしつらえられた正面の脇に書棚が並ぶ。父はよくここに来てお酒を汲んだと栄さんは言った。そして毎年命日にはかつての友人たちが集うという。
六棹ほどの書棚だった。一月の中旬とは思えないほど日差しは暖かかった。新大久保の喧騒も 6F のこの部屋までは聞こえてこない。 左の壁にかかる巫俗と僧舞の長い袖の衣装。カマーゴさんが灯して いった線香の煙がつぅーと、立ち上る。その煙を乱さぬように、もう一度書棚に目をやって、撮影の準備を始めた。 ポールを設営する。雲台を正確に組む。配線をカメラからコンピューターにまわして、遠隔で一棚ずつ撮り始める。哲学書が目につ いて、堅い本が多いなと思った。三木清の文庫本をていねいに切り 取ってノートにはり、一ページずつ感想を記したノートもあった。
「音楽でもかけて、好きにしてね」と栄さんに言われていたが、 この静けさを乱すのが勿体ないような気がしていた。東側の書棚の端には小さな CD プレーヤーがあった。入っていた CD はコロンビ アの音楽だった。これは栄さんのものだ。テープのほうを見てみると小さなハングル文字で何かが書いてある。思い切ってスイッチを 入れると、笛と太鼓のゆったりしたリズムが聞こえてきた。巫俗の 音楽だろうか。これが李良枝の聞いていた音なのかしら。その音色に、静寂だった空間が場面を変えたように息づいた。そうだこれを 聞きながら撮ってゆこう。そう思った。
西日が差し込んでくる。午後の時間が過ぎようとしていた。ペー スを上げて次々と棚を移動しカメラの位置を調整する。垂直・水平・ ねじれを確認してシャッターを切る一連の作業を何度もくりかえ した。何十回目かの時に見えづらかったモニターの角度をグイとかえた。反射を拾って一瞬ぎらりと光ったあと矢を放たれたような視線に射すくめられた。それはたまたま李良枝の写真の眼が鏡面とな ったモニターの画面に反射したからだった。胡笛(ホジュク)のすすり泣き。揺鈴。杖鼓の拍子。衣擦れの音? 視線の正体はわかっているのに、それを感じるたびに僕はどきりとした。
書棚をほぼ撮り終えたころ、栄さんが屋上にきた。僕はテープをとめて、彼女にそれを差し出した。だまって彼女はそれをみたあと姉のテープだといった。書いてある文字の意味をたずねると「キ、キ ...ボン、基本だね」と彼女は言った。
後片づけをして、その祭壇のある書棚の部屋から夕暮れの屋上にでた。視線の話に「姉も踊っていたんだわ。お姉ちゃんまた来るね」そういって栄さんはコーナーのドアを閉めた。

jyunhamro を北に上がった。ここはもう青瓦台の近くだろう。片側三車線の広い通りだったが街路はずいぶんと暗く感じた。いや東京が明るすぎるのかもしれない。 地図を頼りにその建物にたどりついたが電気の消えたモダンな外観に本当にここなんだろうかと、もう一度昼にきて確かめてみることにした。李良枝がお客さんをもてなしたという店は以外にもすぐに見つかった。マッコリと参鶏湯がその日の夕食になった。

翌日は韓国の出版社の用事で一日がつぶれ、その翌日は書棚の撮影の参考にとチェクガドを見に美術館や記念館を回った。北村で 作家と値段の交渉をして 現代の冊架図を二枚もとめた。時間が飛ぶようにすぎてゆく。そし て三日目にようやくまた元下宿をたずねていった。


洗濯物干しすらおいていない屋上はかなり広かった。そこから青瓦台の屋根がちょとみえた。下に見える民家はあたらしくなっていたが、目の前にある山は李良枝の撮った山そのもので、ある一点に立つと全く同じ角度から同じ絵が見えた。李良枝もこの同じ場所に 立って北岳山を撮ったのだった。

大久保の屋上で射竦められた視線の主は、この屋上でも舞を舞ったことがあると後で知った。

#李良枝
#リコーイメージングスクエア新宿
#越境

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