大瀨中

「新・小説のふるさと」撮影ノートより『燃え上がる緑の木』について思ったこと。

 小説にゆかりの場所へと旅をつづけると、小説世界が投影された現実に、小説の外構とでもいおうか、露地とでもいおうか、その小説世界へのアプローチを強く感じる時がある。それは『奇跡』では熊野川の鉄橋であったし『海辺のカフカ』では深夜バスがひた走る明け方、のぼる朝日を凝視した高速道路であったりした。そして物語への境界がどこかにあるとすれば、この犬寄トンネルもその一つに違いない。
 松山空港から車を借り出し、松山自動車道を西南に向かう。まず目指したのは内子町だ。自動車道は山中を切り通してできた道で自然いくつかのトンネルを通る。内子町目前にくぐるこの隧道が燃え上がる緑の木の舞台へのアプローチ。ある共同体への入り口であり、関門のようにも思える。後で気が付いたが撮影ポイントをさがして迷いに迷った程内の山々、例えば陳ケ森岳や陳ケ森、水無権現はすべてこの道の東側に広がっていた。この小説への道程はまず無意識に舞台を通り抜けさせて気がつけば舞台の中心地、大瀬に至るようにあたかもしくまれていた。
 小説の宗教的共同体のシンボル的なたてもの「集会場」のモデルは大瀬中学校の講堂だといわれる。これは著者の友人でもある建築家の原広司が設計した。原は京都駅や梅田スカイビル、札幌ドームなどの設計でも知られているが、「空間図式」という興味深い論を唱えている。「空間図式は、もともと空間の意味が言語に変換されなくても、私たち自身がその意味するところを納得する手段であると同時に、言語や数学的記号をもちいずとも、その意味するところを共有しあっている状態を説明しようとする概念である」と原はいう。この概念は、ある意味、共同幻想であり幻想は強くその共同体を縛る抵抗しようのない紐帯であろう。犬寄トンネルをくぐり抜けた時から、僕はこの独特の空間図式の中に入り、その幻想はこの作品を読み進むにつれて僕を縛り付けてゆくのだった。深い愛媛の森の中の物語はこの強烈な空間図式によって構築されていると感じざるを得ない。広大な程内の陳ヶ森、水無権現の山をさまよいながら、そんなことを考えたのだった。

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