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東京七福神めぐり3 帝釈天の参道が賑わう 「柴又七福神 」

葛飾の柴又は、映画「男はつらいよ」で下町の代名詞としてその名が全国に広まった。この葛飾一帯は、東の江戸川と西の中川に挟まれ、水利と平坦地を活かした「江戸の米蔵」として江戸百万人の生活を支えた田園地帯であり。題経寺(柴又帝釈天)の門前町としても古くから知られた。柴又七福神は、ここを含む七つの寺をのどかに行く。

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七福神の毘沙門天を祀る題経寺は、寛永六(一六二九)年の創建で、日蓮上人が自刻したと伝わる帝釈天の板本尊を安置する。この板本尊は一時所在不明だったが、安永八(一七七九)年、本堂改修の折に発見された。その日が干支の庚申(かのえさる)にあたることから、庚申まいりが縁日として盛んになった。これは、人間に宿る三尸(さんし)の虫が、悪行を天帝に報告しないように徹夜をした民間信仰を、帝釈天の膝元で行ったのが始まりとされる。

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柴又は川と街道が交わる交通の要所でもあったので、宵庚申の評判はたちまち広がり、江戸末期には詣でる人々の提灯が葛飾の田圃にどこまでも瞬いていたという。さすがに今は夜を明かさないが、朝一番の開門を待ってお参りする人は多く、参道の賑わいは変わっていない。










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