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【石川地震】今日会った人とあと何回会えるだろう

この投稿のヘッダーになっている写真は朝4時の金沢駅である。なぜ朝4時の金沢駅の写真を撮ったかは読み進めてもらえれば分かりますのでここでは省略します。

私は毎年初日の出を千葉県の九十九里が浜に見に行く。九十九里に行く理由は、程よい距離感なのと、浜が横に長いため、多くの人が見にきても人混みで嫌な気持ちにならないからある。またこんなことを毎年思う。「なぜ毎日太陽は昇るのに、1月1日の元旦だけ見に行くのか。」「なんでお正月からこんな早起きして太陽を見に行くのか。」そんなことを考えるのですが、いざ太陽とご対面すると、「さあ今年も最高の1年にしよう!」「今年もやってやるぞ!」と思ってしまうから不思議である。そんな「わざわざ」早起きして遠くまで行って見る初日の出はこれからも続けていこうと思う。

さあ今年も元旦から「清々しい」気持ちでスタートしたのですが、
今日はこのままでは終わりませんでした。
私は、九十九里から帰宅し、数時間後に友達と合流して新幹線で金沢へ旅行に行ったのです。初日の出から帰ってきて、おせち・お雑煮を食べた私は、あまりお腹も空いていなかったので、新幹線旅行の定番「駅弁」を買わず、ビールとおつまみを片手に車内に乗り込みました。友達とビールを飲みながら、「着いたらまずホテルにチェックインして、あそこ行ってあの店にも行って・・・」なんていう計画と共に、金沢に近づくにつれ期待が膨らんでいきました。

そんな気持ちが、ある出来事で一瞬で崩壊しました。そう、地震です。
猛スピードで走る新幹線の電気が暗くなり、その途端激しい揺れと共に緊急地震速報の音、そして新幹線が急ブレーキをする音が同時に鳴り響いたのです。
「どうしたどうした」と動揺する大人。泣き叫ぶ子供。再度鳴る緊急地震速報。まさにカオスの状況でした。私も心臓がバクバクするのが体感でわかりました。

まさかこんな展開になるとは思ってもいないので、食べるものもなく、また水分もあと少しの状態での先の見えない待機が続きました。地震のたびに起こる停電。そして余震。様々な不安でいっぱいでした。地震から1時間、2時間、3時間、4時間経っても新幹線が動き出す気配はありません。車内には未来の見えない絶望感で、どこかどんよりと暗くて重い空気が漂っていました。

そこから11時間後
(JRの大変な苦労のお陰で)私は金沢の地に降り立つことができました。

今回このような貴重な経験をして、『仕事』のかっこよさを再認識した。
私が11時間滞在した新幹線の車掌さんは、11時間もの間、乗っているお客さんのために明るく笑顔で対応・会話したり、車内の端から端まで走り回ったり、夜中の11時ごろに届いた食料物資を配達員と共に笑顔で一人一人に渡したり、乗客に安心してもらうために深夜もぶっ通しでアナウンスをしたりと、一番大変なはずなのに一番明るく接していた姿に心を打たれた。
また深夜3時までぶっ通しで線路を歩いて点検し、脅威のスピードで新幹線の走行復帰を成し遂げたJR。
また夜中4時に金沢に着いてすぐにホテルへ行って爆睡したのだが、お腹が空いていたのか朝9時ごろに目が覚めた。幸いにも近江町市場にほど近い場所のホテルだったためダメもとで市場へ行ってみた。大地震があった次の日なので私はやっていないだろうと思っていた。しかしその予想を覆す。明るい店内の照明、そして明るいお母さんが、「お食べ〜!」と呼んでいる。海鮮丼のお店が営業していた。有り難く金沢の海の幸を頂いたのですが、お店にいる間に私はお母さんにこんな質問をした。

「地震があったのに今日営業しているんですね」と。

お母さんからこんな返答がきた。

「私たちが明るく頑張らないと!」と。

暗い出来事があろうと、悲しい出来事があろうと、人を勇気づけるのは「仕事」である。困っている人がいる。助けを求めている人がいる。そんな人たちを救うことができるのは「仕事」である。「仕事」のカッコ良さを再認識した日である。

またプロフェッショナルな「仕事人」を見て、
私も「仕事」を頑張ろう!と思わせてくれた。


そしてもう一つ。改めて実感することがある。

“人生 生きていると何があるかわからない。”

言葉ではよく聞くけれど、いざその場面に立ち会わないと実感が無い。

何気なく当たり前のように会っている人。毎週近所で見かける人。家族。友達。恋人。

今日会った人とあと何回会えるだろう。

そんな気持ちを持って、会おう。今日という日は今日しかないのだから。

改めて思う。 1日1日を大切に生きよう。

毎日安全に安心して楽しく過ごせている日常に感謝を持ちながら。


2024年も最高の1年にします。

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