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人に勧めたい本があったら

本を読んで「うわ、これはやばい」「誰かにこの感動を伝えたい」と思ったとき、皆さんはどうしますか?
よくあるのは、SNSに本の画像載せてコメント載せる、みたいな感じですかね。
間違っても通りすがりの人にいきなりその本がいかにすごいかとか説き始めたりしませんよね(笑)

本への熱い思いを帯とコピーに託す小中学生たちが、埼玉県入間郡毛呂山町にはいます。

先日、毛呂山町の小中学生がオリジナルの本の帯を作って競う、もろやま「本の帯」コピーライター賞の審査をしてきました。審査をするのは今年で3回目になりますが、毎回「おっ、この本読みたい」と思う本が20冊以上あったり、最近の小中学生が読む本の傾向がわかったり、かなり楽しんでやらせてもらっています。
 
本屋に並ぶ本の帯には「〇〇賞受賞作!」「〇万部突破!」など、その本がいかに売れているかを前面に押し出したテンション高めな言葉が躍っています。小中学生の作る帯はまったく違います。自分が「おもしろい!」と思った本の魅力をどうやって伝えようかという創意工夫にあふれています。伝える方法が必ずしも言葉でなくてもいいところが、「本の帯」コピーライター賞のおもしろいところでもあります。
 
今年は環境やペット問題など社会問題に関する本が多かったように感じました。低学年から読める本も多く、それだけ私たちの社会が抱える問題が身近になってきているのだと思います。
 
学年が上がると、恋愛小説、それも「余命○年」という言葉がタイトルに入ったものが多いのも特徴的でした。特にビックリしたタイトルがこちら。「余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話」
 
日常のなかに埋没していると、命にはかぎりがあるという当たり前のことも忘れてしまいがちですが、読書を通じて自分の命の有限性を意識し直すということを小中学生もやっているのですね。そういう自分も今、東日本大震災に関するノンフィクションを続けて読みまくっていますしね。
 
楽しい仕事ではありますが、審査をするのはなかなかに集中力がいり、毎回終わるとけっこうクタクタです。

「ページをめくってみたい」と思わせる力がある作品にやはり目が行くのですが、今回はそれに加えて帯に「自分」視点が入っているものを選びました。「僕」「私」という言葉が帯に入っていると、その本の後ろにいる小中学生の顔が浮かぶように思えてくるのです。

今回グッときたのは「メッシ 神と呼ばれる男」の帯。中学一年生の作品でした。いきなり「僕」から始まるコピーから、本人のメッシへの愛と尊敬が惜しみなく伝わってきました。

なにかがあまりに好きすぎると客観性を持たせないと人には伝わらないと思ってしまうこと、ありませんか? たしかに好きすぎるもののことを人に伝えるとき、押しつけになってしまうこともなくはないと思います。だけど、純粋な思いが伝わるのはやっぱり主語が「自分」のときなんだよな~って、あらためて思いました。

楽しいことをしていきます。ご一緒できたら、ほんとにうれしいです!