0804_からだとこえのワークショップ1

からだはいたいけ

8/4にさいたま市見沼区大和田にある常月接骨院にて、鵜澤院長a.k.a.空廻くんと共同で【からだとこえのワークショップ】を開催しました。

今さらですが、レポートをば。
まず、暑い暑いさなか、遠路はるばる埼玉までお運びくださり、ありがとうございました!

詩の朗読なんてものを途切れながらも続けて20年たちましたが、人前で声とからだのことを話すなんて、実は初めて。緊張しましたが、熱のある参加者の皆さんに助けられ、終わった後も会話がたえない熱いイベントとなりました。

実際にからだを動かすワークでは、80歳超えの女性まで参加していただき(ただし彼女、もともとダンスをされていて、からだの柔らかさがハンパではなかった!)、体感を共有できたかなー、と思います。

私のいただいた時間では、まず「張る声と響く声」というお話をさせていただきました。街で聞こえる子どもの声がうるさくなってきているという話から入り、今、ポエトリー界隈で耳にする声についてまで。

響く声の方がそれはもちろん、心地いいとは思いますが、時代がそうも言ってられない局面にさしかかっているのかな、と感じる日々です。時に声を張り上げなくては、相手に届かないこともあり、それがどんな時かといったら、からだが危機を感じる時で、だから今、ポエトリーはプロテスト(抗議)として力を得てきているのではないか、ということまで話したのは、我ながら予想外でした。

普段、私は朗読の際、極力張らない声で、とにかく響くことに重点を置いているのですが、これも決して楽なことではなく・・ちょうマンネリズムとの闘いですし、かつ、聴いてる方には退屈なものかもしれませんが、もう少し、きわめていきたいと思っています(これについてはまた!)。

ワークショップ後のアンケートでいただいた感想でおもしろかったのは、「弛緩とリラックスは別物だ、というのがおもしろかった」というもの。うれしい! これを伝えるために、100均で風鈴を買った甲斐があったというものです。

リラックスは安定したテンション(張り、いい意味での緊張)の上で初めて成り立つのです。人間の成す動きって、奇跡そのもののバランスの上で可能なのだな、と心から思います。

鵜澤院長a.k.a.空廻くんの話も、すごくよかったのです。順番は彼が先攻だったのですが、からだの声を聴いてあげてね、ということがメインテーマだったため、後攻の私の話のウォーミングアップ的役割まで担ってくれた気がします。ありがとう!

鵜澤先生いわく、からだって、すごくいたいけなやつなんですって。声を持たない代わりに、あなたの望むことをなんでも聞いてくれちゃうんですって。時にはからだそのものを変形させてまで。

鵜澤院長はそんなからだの代弁者。あなたよりもあなたのからだのこと、からだの気持ちをわかってくれて、こっちの方向の方がいいみたいよ、と導く施術と説明をしてくれます。

お話を聞きながら、こんなことを思い出しました。
私、5年前に会社員を辞めたのですが、辞めるまでは本当にどうかというほどからだが言うことをきかなくて、最後には肺炎にまでなってしまったのです。そのタイミングで希望退職の話があったため、それに乗った形で退職したのですが、実はそのことで自分ダメだなって思っていました。頭では、からだが悲鳴を上げてるんだから、これはやめろってことだよ、と思っていたのですが、いざ人と話すときなどに、自虐的にしか仕事を辞めたことを話せない自分がいたのです。

でも、今回の話を聴けて、あれでよかったんだな、とすとん、と思えました。

からだの声を聴くって、私を含め、現代人のもっとも苦手なことなのではないでしょうか。

頭が痛いと言って頭痛薬を飲むこと。これって仕事をしている大人なら当たり前、ですよね? ・・でも、本当にそうなのでしょうか? それは対処方法に過ぎなくて、根本を見つめることをまったくしていませんよね。

なぜ頭が痛くなってしまうのか。からだの不調に想いを馳せること、それは、小さな子どもが駄々をこねて、なにか悪さをしてしまう時の対応と同じです。ついやってしまうのは、悪さをやめてほしくて、諭したり、時におどしたり、やめたら●●を買ってあげるよ、と交渉までしてしまう。だけど、子どもが悪さをしてしまう本当の理由を聞いてあげないことには、その子の中で、悪さをしてまで大人の注意をひきたいという想いはなくならないのです。

ちからわざで悪さをやめさせられた子どもは、今後も同じことをやるか、怒られないために隠れてやるようになるのではないでしょうか。病気もきっと、同じ。その時になってようやく休める、というのが、24時間タタカエマスカ? がデフォルト世代の常識だったかもしれませんが、いい加減、それ、やめませんか? いつも元気で楽しい方がいいに決まってる! そしてそれを求めるのは、だらけてるってことじゃない。

なにかをやめるのは時にとてもエネルギーを使うものですが、やめるのに別に理由はいらないみたい。「なんとなく嫌だから」もからだの声だと、鵜澤院長は話していました。あ、いいんだー、と一気に張っていた力が抜けるような感覚。

これかな? これかな? と思いながら、耳を傾けていきたいと思います。理屈でなく、ましてや義理なんかではぜったいなく、声なき声を発し続けている、自分にいちばん近い他者、からだのこと、もっと知りたい。そう思えたワークショップでした。

気になっていたけど、参加できなかった方、呼んでくだされば、第二弾もありかもです。ぜひぜひ、声をあげてください! 


楽しいことをしていきます。ご一緒できたら、ほんとにうれしいです!