見出し画像

甥のへその緒と乗った、あの観覧車

揺れていたのはひかりだったか、それともわたしだったか。おそらく誰にもわからない。ぽつり、ぽつりと歩いて、しらない誰かの軒先で実った枇杷をもいで、食べる。やわらかい肉を噛むと、じんわりと甘みが広がった。汁があふれて口のはじから出ていく。セーターやコンクリートに、ぽとりと落ちて、さっきまでのかたちがちょっとだけ変わる。

すこし歩くと古びた神社があった。昨日までそこはたしかパチンコ店で、機嫌のわるいおじさんが短いタバコを足でもみ消していた。鳥居をくぐると、パチンコの喧騒が聞こえるが、目の前には手水があって、松の枝にはおみくじが巻いてある。わたしは右手、左手と手を洗い。口内を清めた。さっきの枇杷の香りがかえってくる。「いらっしゃいませ」と、ささやかな声が聞こえた。

苔がむして緑色に濁った池には、鯉がいた。
小さいの。大きいの。赤いの。黒いの。そういえば鯉や金魚は新種をつくりやすいらしい。無理に背中にラメを埋め込む。「きれいだねえ」とどこかで子どもが笑う声が聞こえる。「いらっしゃいませ」とさっきの店員の声も聞こえる。きっと鯉だって、こんな姿で生まれるつもりはなかったはずだ。派手な金や赤で着飾らなくても、音を立てずに泳ぐ様は美しいのに。無理をしないで、そのままでいてほしい。

鯉たちから目を離すと、パチンコの喧騒は消えていた。その代わりに奥歯が一本ぐらついて、抜ける。せっかくなのでお参りでもしよう。凹凸のある奥歯を、あめ玉みたいにころころと舌で転がしながら境内まであるく。さっきまでのかたちがちょっとだけ変わる。

鈴を鳴らすと、雲もないのに雨が降ってきた。そうだ。お賽銭を入れるのを忘れている。お財布を持ってきていないので、奥歯を入れることにした。舌に乗せて、手のひらに吐き出す。見ると歯の中腹に黒い穴が空いている。虫歯だ。ざわざわとうごめいているので、中をのぞく。お葬式の最中だった。遺影には「▱」とある。平行四辺形が死んだのだろうか。三角形や四角形、ひし形などが参列している。彼とは親交があったので、いささか悲しくなった。賽銭箱に虫歯を放る。ちゃぽん、と音がした。

雨のなかでゆっくりと二礼二拍手一礼をする。所作には意味がある。拍手には悪い厄を寄せ付けなくする効果があるらしい。ムシューダみたいなものか。パン、パン。それだけで足りるのだろうか。思いついたのはアカデミー賞の授賞式だ。毎度、地鳴りがするほどのスタンディングオベーションが起こる。あれは西洋だが、滅多なことがない限り悪魔は寄りつかないだろう。熱心に十字架を切るよりよっぽど効果がある。

なので私は二礼一スタンディングオベーション一礼にした。スタンディングオベーションとなると、あらかじめ座っておく必要があるので、私は二礼した後に、濡れた石畳の上に膝を抱えて座り込む。おもむろに立ち上がってスタンディングオベーションをすると、賽銭箱を突き破ってシュノーケルをつけたメバチマグロが飛び出してきた。メバチマグロは地上でびたんびたんと跳ねる。シュノーケルがずれて、外れる。びたんびたん、びたんびたん、びたんびたん。私は手を合わせて願をかけたあと、一礼してくるりと向きなおった。

青空から降る雨はいっそう激しさを増す。濡れながら歩く。ひかりが揺れる。いやわたしが揺れているのだろうか。それはおそらく誰にもわからない。

#小説 #シュルレアリスム #シュルレアリスム小説 #シュルレアリスム文学 #シュルレアリスム作家 #小説家 #文学 #詩 #作家 #小説家

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?