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「返事はハイかYesしかない」と言う教師

 先日、ある会議に出席した時のこと、「返事はハイかYesしかないと教えられたので、自分はこの役職を引き受けました」と挨拶した管理職がいた。

 この言葉の真意は「私はこの分野は専門外で何もわかりませんが仕方なく引き受けました。なので助言はできません。」と言いたかったのだろう。「主体的に考える生徒を育てる」と国は謳っている。しかし、教師自身がこのような「思考停止」「(立場が逆ならば)パワハラ」発言を平気でしているのが現実だ。

 この方は長年、とあるスポーツの指導をしておられたそうで、真面目に頑張ってこられた方だからこそ管理職にもなったのだろうが・・・こういう思想を持った方(思想というほど大げさなものではないかも知れないが)が管理職になっている。

 言われたことを文句を言わずに手際よくこなす使い勝手のよい人物が出世するのはどこにでもある。大切なのは、教師自身が自分の頭で考えているのかということ。そして、その判断は、どこを見ていたのかだ。生徒を見ているのか。上(教育委員会や上司)を見ているのかだ。

 例えば「優れた授業」と言われる型に、全ての教師を当てはめることは出来ない。教師だって生徒だって1人1人違っている。「よい授業です」と評価されているやり方で、生徒の学力が伸びるとはどうしても思えないことがしばしばある。誰のための授業なのか?教委はしばしば「先生のパフォーマンス」が型どおりであることを見て「よい授業」だと評価している。しかし主役は教師ではない。いかに教師がトレンドの「美しい」「型どおり」の授業をしたとしても、実際、生徒が自信なさげでイキイキしていなかったりする。

 やはり1番は、目の前の生徒の成長を願い、教師自身が試行錯誤した中から生まれた自信をもって提供できる授業が1番ではないか。それは、個々に違っていい。

 教育においては、Yesマンであることが高評価される業界であってほしくない。目の前の生徒にとって、彼らの将来にとって今何が必要かを常に考え、広い視野に立って指導できる教師でありたい。

 目指したいのは「返事はハイかYesしかない日本人」ではなく「ハッキリNoと言える日本人」である。どの業界においても真の成功者は「自分の頭で考え行動した」人物だと思う。

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