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大切に生きよう。

誰かと一緒の食事が苦手だった。



ちょっと暗い話だから、戻ってもらってもいいですよー。
吐き出したくなったから、書いてみました。






祖父母は今思えば、入れ歯のせいか、音を立てて食事をしていた。
箸の使い方もひどかった。

父はヘビースモーカーで、食事の度に横でタバコを吸っていた。
小学校でタバコの危険性を聞く講演会?があった時、
「家族でタバコを吸っている人がいたら、やめてもらうように言いましょう。」
と偉そうな偉い人が言ったので、私は馬鹿正直に父に伝えた。

父は不機嫌になっただけで、やめようとはしなかった。
タバコの吸い殻は灰皿だけでなく、飲み終わった缶にも捨てていたらしく、きょうだいが誤飲したこともあった。


田舎で、毎日来るしんどい親戚もいて、食事の時間は逃げられない。

小さい頃はいかに早く食事を終わらすかに集中していて、終わり次第走って逃げていた。
体によくないが、とにかく逃げたかった。

いい家庭環境じゃなかったので、不平等や理不尽を幼い頃から言葉を知らずとも体験してきた。


小学校に上がる前は、学校の先生は周りの大人とは違うのではないかと期待していた。

保育園、幼稚園で大人の怖さ(先生に逆らったらヤバい)を学んだが、小学校の先生は違うんじゃないかと。

聖人君子とまではいかないが、それっぽい人であれと望んだ。

しかし、そんな希望は打ち砕かれた。

校庭で職員の紹介があった。
何年何組の担任の〇〇です。みたいなアレだ。

1人の先生の服装がスーツのスカートだった。
女性の先生はみんなそうだったと思う。
他の先生と違ったのは、ストッキングからすね毛が見えていた所だ。

なぜか怖さと悲しさが入り混じった。

完璧な大人はいないと悟ってしまった。

あれってロリコンだったんじゃないか?みたいな先生もいた。



社会人になって数年目、上司から食事に誘われた。
用事があると断っていたが、何度も誘われて、仕方なく食事をおごってもらった。

何を食べてもおいしくない。

おいしくなくても、お礼を述べた。

あの頃の私は、何を食べてもおいしいとは思えなかった。

それからも、おごってもらう機会があった。
何度断っても誘われるからで、誰にも心情を言えなかった。

上司は下心はないものだと思っていたし、本人もそう言っていた。
しかしそんなわけはなかったのだ。

絶対無理だと思った。
私は謝りながら逃げた。

なんの見返りもなくおごる異性はいないんだと思った。


それから、その上司に誘われることはなくなった。


数日後、友人と食事をしたら安心してか、ごはんが美味しいと感じた。

少しずつ、食べ物に関心をもつようになった。









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