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「一君万民の職能社会」における職分と職能(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係を読む』)

「一君万民の職能社会」は、白頭狸先生が洞察された、これからの御世の在り方、すなわち「スメラの代」の社会像となるわけですが、そこで、にわかに関心を持ちはじめたのが、私自身の職分と職能とはいかなるものであるのか、という点です。

自分のやりたいことを職分とすれば良いという思想もありますが、私個人としては、ご先祖様があって今の私があると思っておりますので、ご先祖様の事績を辿ることで自らの職分と職能を知る術としたいと思い、最近は自分自身の家系の歴史について調べることをはじめております。

私の戸籍名は「河島」なのですが、自家に家伝として伝わっているものとしては、「室町時代の初期、播磨の国において河島の姓を受けた」というものです。

いま原本が手元に無いので、原文がどのような表記であったのかは不明なのですが、上記の文章のとおりとしますと、「河島」という名は「姓(かばね)」で、職分をあらわすものであったということになります。

となると、元は〇〇氏という氏族だったはずで、そのあたりも昔聞いた記憶では、元は「高島(コウシマ)」と名乗っていたと記憶しているのですが定かではありません。

そこで、親戚に河島家の歴史を詳しく調べていた叔父(故人)がおりまして、その叔父のお嫁さんの叔母に連絡したところ、近日中に叔父がいろいろと河島家の歴史について調べた資料を送ってくれるとのことでしたので、詳細はその資料の到着を待ってからになります。

もともと自家の歴史について調べてみたいと思ったきっかけは、白頭狸先生のnote記事でございまして、白頭狸先生の小学校時代のエピソードの中に「河島」という姓を持つ女生徒が出てきたので「お!」と思ったのがきっかけです。

ところがネット検索してみると、関西のほうでは「河島」という名はわりと見かける名前のようで、そのことも意外に思っておりました。なぜ意外に思ったのかと言いますと、私は北海道札幌市の生まれで、明治31年に私の曽祖父が北海道開拓移民団体に加わって渡道した開拓移民の家なのですが、小学校、中学校、高等学校、大学、そして社会人になってからも「河島」という名を持つ人に、親戚以外で出会ったことが一度もなかったからです。

そして、白頭狸先生の小学校時代のエピソードに登場した「河島」という姓に驚いたのも束の間、白頭狸先生の著書である『ドキュメント真贋』を拝読したところ、紀州古陶磁の年代の科学的測定をおこなった方が「河島達郎氏」であったとあり、またもや「お!」と思ったのです。河島達郎氏のことは蒙昧ゆえ存じ上げていないのですが、「河島」という名を見たことに驚いたわけでございます。

というわけで二度にわたって「河島」という名に遭遇したことが自家の歴史を辿るための布石となっていた、と今にして思えば思えるわけですが、大きくみれば「一君万民の職能社会」の到来にあたって、自家の歴史を調べる時節が到来したということかと思います。

以上のようなことをつらつらと思っていたところ、白頭狸先生と華頂博一様のyoutube対談においても「自分は何者かは遺伝子に問え!」とのお話があり、ますます上記の意を強くしたわけでございます。

【神回】自分は何者か?遺伝子に問え!落合莞爾先生から皆様へのメッセージ 落合莞爾氏×華頂博一 - YouTube

youtubeより転載

白頭狸先生も、華頂博一様も自家の歴史をくわしく調査されており、自家の歴史を知ることで、日本および世界の大きな歴史の流れとの合致点を見出すことができ、「歴史」というものを肌感覚で理解できるようになり、ひいてはこれからの御世すなわち「スメラの代」における自分自身の座標というものも定まっていくのではないかと思っているところでございます。

(白頭狸先生のnote記事より転載)

頓首謹言



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