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ふたりの小学六年生が衆議院議員会館の議員室で落語を演り衆議院本会議を傍聴した話

小学六年生のときのことだから、もはや50年ほど前の本当の話。

あるとき僕は、同級生のE君を誘い、国会を傍聴することにした。
たまたま、地元の青草ちよこ港区議が、かつて姉の小学校時代の担任の先生だったことから、僕の母が、その縁故を通じ、段取りをしてくれた。
青草区議は、やはり地元・東京1区選出の田中栄一衆議院議員の秘書さんに連絡を取ってくださった。

当初は、予算委員会を傍聴したいと言ったのだけれども、さすがに小学生では困難だと断られ、本会議だったらどうにかなるかも知れないけれど……とのことだった。

何日かすると、田中代議士の秘書さんから電話があって、いついつの何時に衆議院第一議員会館のロビーに来てほしいとのこと。
僕はE君と連れ立って、言われた通りにした。
半ズボンを履いた小六男子ふたりが、保護者の付き添いもなく、衆議院第一議員会館のロビーで代議士秘書に面会を申し込む様子など、まずもって前代未聞のことだっただろう。

やがて現れた秘書さんたちは男女ふたり。
年齢は比較的若く、いま思うと、おそらく私設秘書の研修をなさっていたような、大学を卒業したてで政治家を志していたタマゴさんたちだったのかも知れない。
もしかすると現在、それこそ大ベテラン政治家になっておられるのかも知れないが。

秘書さんたちは、開口一番に残念なことを言った。
「ごめんね。せっかく来てくれたんだけど、今日の本会議は流会になっちゃった」
僕らが、がっかりしていると、
「でも、今夜は田中先生お留守だから、中に入ってもいいわよ」
と、優しくも、僕らを促して、田中栄一代議士の議員室へと招き入れてくださった。

衆議院議員の議員室というのは、小六男子の目にも決して広いとは思えず、奥のほうにドアで仕切られた議員本人の執務室があって、手前には雑然とした事務室が連なっているだけだった。
田中代議士はお留守とのことで、秘書さんたちは、特別に僕らを奥の執務室へ通してくださった。

保護者も同伴せず、自分たちだけで連れ立って衆議院本会議を傍聴したいなどと言い、ついには国会議員の執務室にまでやってきた、この不思議な半ズボン小六男子ふたり。
若い秘書さんたちが興味を抱くのは、至極もっともなことだった。
僕らは、秘書さんたちに「どんな学科が好き?」「部活はなに?」「特技とかないの?」などと、さまざまなことを質問された。
そこでE君と僕は、ふたりとも実は落語を演るんですというようなことを、正直に答えた。

すると秘書さんたちは、たちまち瞳を輝かせ、是非それぞれ一席ずつ聴かせてほしいと、愉しそうに、はしゃぎ始めた。
田中栄一衆議院議員の大層立派な執務机の上を慌ただしく片付けてしまうと、そこにマットのようなものを敷き、即席の高座を設えてしまった。

そのスペシャルな高座に上がって、E君と僕は、それぞれに得意の演目を口演したのである。
たしか、E君は「時そば」を、僕は「後生鰻」を演らせていただいた。
若いふたりの秘書さんたちは、腹を抱えて爆笑してくださった。

自分たちだけで連れ立って衆議院本会議を傍聴したいなどと言い、ついには国会議員の執務室にまでやってきた、半ズボン姿の不思議な小六男子ふたりが、その国会議員が仕事をする執務机の上に座って、それぞれ本格的な古典落語を噺しているさまなど、これまた前代未聞にして空前絶後のことだっただろう。

ある種、シュール=超現実的な景色でもあっただろう。
それに、けっこうウケたのも良かった。

まさしく、憲政史上最初で最後だったはず。
他に実例があるなら、聞かせてほしいものである。

後日談。

僕らのことを、すっかり気に入ってくださった秘書さんたちは、後日あらためて予定をセッティングしてくださり、僕らは、とうとう衆議院本会議を傍聴させていただくことを叶えた。
田中角栄首相が出席し、PCB汚染問題に関する緊急質問の動議が出されたりもし、なかなか面白い本会議だった。

秘書さんたちが仰ったには、半ズボンを履いた小六男子ふたりが、保護者に連れられるわけでもなく、個人的に衆議院本会議を傍聴することもまた、本来なら認められず、実は、前代未聞(特別中の特別)のことだったのだそうだ。

要するに、落語を演って聴かせたのが良かった。

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