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[コラム] 日英 国葬 雑感

 エリザベス女王の死については、様々な憶測がある。ほんとうは、すでに亡くなっていたのだが、公式発表のタイミングを図っていたといったような。あるいは、彼女の死の公式発表が”何か”のシグナルであるといった類いの。そうした可能性は、あるかないかと問われれば、あると思う。
 昭和天皇が亡くなるまでの、壮絶な4ヶ月のことを想えば。

 昭和天皇が大量に吐血され、下血も確認されたのが、昭和63年(1988年)9月19日。以来、”天皇陛下ご重体”の報道が連日続いた。昭和天皇は、すでに末期のガンに冒され、膵臓や十二指腸からの出血が止まらず、侍医らに対し、大量の輸血による延命治療が命じられた。

 誰によって?
 当時の総理大臣・竹下 登によってだろうと、私は確信している。

 例年、秋から年末にかけて、政治屋は予算審議を軸にスケジュールが詰まっている。あの酷い症状で87歳の高齢者なら、余命、半月も持たないだろう。崩御〜大喪礼の日程や諸々の儀式・手続を考えると、年明けまでの延命が絶対に必要と、竹下総理は判断し、昭和天皇の侍医たちに命じたのだと思う。

 そして、明けて昭和64年(1989年)1月7日、吐血から111日、実に、総量31865ccに及んだ大量輸血(全身の血液を10回入れ替えられる量)による延命治療を完全に止めて『予定通り』昭和天皇は崩御あそばされたということだ。

 あの、”天皇陛下ご重体”で、世の中が自粛自粛の中で迎えた昭和63年の終盤のこと、「年明けに崩御の予定」という情報が、実は、丸の内の大手企業界隈では”ここだけの話”レヴェルで内々に流れていたのは事実で、たまたま私は、その情報に触れていた。

 公式発表より前に、エリザベス女王も、ほんとうは、すでに健康を害され、病床に伏せておられたかも知れない。あるいは、すでに亡くなっておられたかも知れない。昭和天皇の場合は、むしろ事態の状況が開けっ広げだったとも言え、悲愴な最後の数ヶ月が、上述のように想像できてしまうのだが、英国・エリザベス女王の場合は、もっとスマートに、上品に、あとあと波風が立たないよう計画された死の演出だったとも思われる。だとすれば、さすがである。……その可能性があると、昭和天皇の場合を踏まえ、私が感じる所以、かくの如し。

 さて、ここからは更なる思考実験だが、安倍暗殺から可視顕在現実で起こっているのは、安倍国葬論争と旧統一教会問題。自公政権が揺れているのは、私としては大歓迎だ。おかげで日本国憲法改正の議論は、吹っ飛んでいるのだがら、自民改憲草案なるものが遠のいた点で、誠に有効な状況である。

 一方、安倍さんの志を慕う人々からすれば、国葬を通じて、安倍さんの遺訓とも言える「日本を取り戻そう」という世論の高まりを期待する向きはあったと思うが、旧統一教会問題で、そうした機運はすっかり萎えてしまった。

 ここで、安倍暗殺が、実に巧みに計算されていると主張することも可能だ。そして、今回のエリザベス女王の逝去である。日本の安倍国葬など、一瞬で掻き消されてしまった。格が違うのである。こればかりは、どうしようもない。以下に添付した、日刊ゲンダイの記事が述べている通りだと、私も同感する。

 すると、どういうことになるか。

 やはり、このタイミングでエリザベス女王が亡くなった”こと”には、大きな意味がある。偶然だと言って、一蹴することもできるし、実際、そうなのかも知れない。だが、いずれにせよエリザベス女王逝去の報は、ひとつの区切りになる筈だ。

 第一は、一連の新型コロナ・プランデミックは、仕掛けた側の目論みが大きく外れ、完全撤収のピリオドを打つ。その合図が女王逝去。要は、世界支配へ向けた次なる想定プランに移ろうとするのだろう。それが何かは判らない。第二は、日本人の覚醒だけは、何としても制止せねばならないという奴らの意想。英国🇬🇧エリザベス女王国葬に関わる思念が、日本🇯🇵安倍元首相国葬関連の思念を圧倒してしまった事実が、これを証ししている。日本を取り戻そうとする真の保守=安倍を葬り去るとともに、彼の神格化も阻止する。もちろん、安倍銃撃=暗殺が周到に練られた作戦の一環だと知られるようなことには、絶対なってはならない……。

 でもまあ、日本が負けっ子なのは常のこと。いずれは、日本が劣勢を挽回するとの”LOOKING TODAY”で、私はゆく。

 これぞまさしく『中今の教え(なかゐまのをしゑ)』なのである。