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枕元にリブ無しソックスと黒いカーディガンが置いてあった愛の話

2023年12月25日
朝早く家を飛び出して25時半に帰宅してみると、枕元にはリボンに包まれた白い靴下と黒いカーディガンが置いてあった。

リブが無いのが気に入ってよく買っていたけど、その後無印良品では売られることはなくなってしまった、ブランドは不明の真っ白なソックス。
いつも通り扱いが雑なのと、塾講師のバイトで秋以降週4日フル稼働だったせいでボロボロになってしまった黒いカーディガンの代わりの、毛玉一つない黒いカーディガンの新品。

母だ。
律儀にも午前2時前に帰宅した22歳になる息子のためにクリスマスプレゼントを置いていてくれた。

リビングへ行くと高校生の弟がニコニコしている。
毎日予備校から帰ってくれば死んだような顔をしてノロノロと飯を食べている彼がいったいどうしたのか。

「これめっちゃ欲しかったやつなんだよ!」

彼の枕元には、どうやら好きなブランドのビーニーとロンTが置いてあったみたい。

思えば母がクリスマスプレゼントを欠かしたことは一度も無かった。

実家の助けを借りながらとはいえ、1人で2人の息子を育てた母。
経済事情がよく無い時だってたくさんあったと思う。

それでも俺が25日の朝を指折り楽しみにしていたのは、北欧から一年に一度だけ来る恰幅のいいおじいさんのおかげでも、半年に一度くらい一緒に映画を見に行っておもちゃを買ってくれてた父のおかげでもなかった。

母だ。
いつも看護師の仕事で疲れていて、一緒に遊んだりした覚えもあまりなくて、怒ると俺たちに手を出して「こんなこと本当はしたくない」と咽び泣く、どこかズレてるくせに自分にも自分の子どもたちにも「こうあるべき」ばかりの母だった。

そんな母に無神経なことをたくさん言ってきた一年だった。
母の方だって相当ひどかったとは思うけど、就活を巡って10年ぶりくらいに声を荒げて大喧嘩した。親子関係で言ったら史上もっとも冷え切った時期だったと思う。
俺はもうこの人を殺すしか道はないのかもしれないと本気で思ったりもした。

それでも、枕元にはリボンで包まれたプレゼントが置いてあった。

母の心理はぶっちゃけわからない。
捉えようによっては、異様に自己肯定感が低くて自他のバウンダリー、特に子供たちに対して、があやふやな母からの、歪な愛の結果が欠かしたことのないクリスマスや誕生日のプレゼントたちかもしれない

けれど、帰ってきた俺が真っ先にプレゼントを見て感じたのは、もっと温度があって、透明なものだったと思う。

俺がリブ無しのソックスが好きだったのを覚えていたこと。
俺が毛玉だらけにしてしまったカーディガンを気にかけていたこと。
それは有り体に言えば愛だと思う。

俺はこれまで人に愛を与えられただろうか。
プレゼントのリボンを解いて、真新しいカーディガンのツルツルした質感を手で感じながらふと思った。

3人の夫と離婚(3人目、つまり俺と弟の父親とは籍は入れていないけど)した母は、
「不思議なんだよね、私これまでの男はみんな冷めちゃったけどあんたたちはいつまで経っても好きなんだよね」
とよく話す。

これを母性とかそんなくだらないもので括りたくないし、なんなら「そりゃ男たちには自分の世界も思考も財源もあったけど俺たちにそんなものは一つも無くてあんたに従うしかなかったからな」と思ってもいた。

それでも枕元に置かれていた靴下とカーディガンは愛だったと思った。

「All about love」を書いたBell Hooksは、「たいていは名詞として理解されている”愛”という言葉だが、私たちがそれを動詞として用いるならば、より”愛する”ことができるだろう」と言っていた。

俺は誰かを愛してきただろうか。これから誰かを愛せるのだろうか。そもそも今誰かを愛しているのだろうか。

ここ何年か、付き合ったり別れたり、好きでもない人と寝てみたりしてきた。そんなことをしていたせいか、久しぶりに好きだと思えた今の彼女にもどう接していいかわからない。
友達にも腹を割れず、舐められないように、ハブられないようにやってきた。

本当に不安で、寂しくて、傷つきたくなくて、なにもわからないけど、それでも愛してみたいと今は少し思える。

リブ無しの靴下を履いて、やっぱり少しほつれてきてしまった黒いカーディガンを着て家を出ると、不安はちょっと軽くなっていく気がした。

サンキュー母さん。あなたが休みの日に、俺の気が向いたらこの話をするかもね。

2024年1月6日





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