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余生

今年2月の3週目に派遣社員として3年勤めた会社を退職し、3月2週目から新しい会社でまた派遣として働き始めました。
3年勤められたという事が物凄く私にとって意味があって、新しいところで今のところ働け続けているという事がまた新たな意味を与え続けています。

直接的な関わりはほとんどなかったけれど小学生の頃とても感じの良かった先生が先生をやめた後地元で夫婦で本屋さんを始めて、本を買った後にその元先生と話ができる事がとても嬉しかったんですが、進学で地元を離れる事が決まった時「3日、3カ月、3年続けられたらもうどこでもやっていけるから頑張って」という言葉をもらえて、なんとなくそれいいなと思ったので頑張る時の目やすとしてその言葉をもらって行く事にしたのでした。

出席日数と理数系の成績で少し綱渡りになりかけつつも学校はなんとか卒業、深く考えず適当に探して決められた最初の就職先の編プロは潰れかけの火の車で全額は少し待って欲しいと社会人初任給は握らされた五千円だったり、私が入社する前から未払いが重なっていた先輩達が社長を相手取って裁判をした話を聞いたり、自分よりずっと年上の大人の人が入社して来てはそんな会社の現状を知って数日で去って行くのが日々繰り返されたり、嫌な事を言われて会社のベランダを転げ回りながら泣いたり、なぜそうなったんだったか全く思い出せないけど先輩のバイクの後ろに乗せてもらってお台場とかに連れて行ってもらってその後茶して帰ったやつ、あれってデートだったと言ってもいいやつだったんじゃね!?と何年前ですかエピソードにスーパー時間差で昨年テンションをあげたり、外注のデザイナーの人と朝まで呑んだりちょっとなんかそういうカンジになったりならなかったりみたいになったりするみたいのを東京でこんな日々とかなんかすごい東京だしマンガみたい!と面白がりつつ夏には退職、憧れだった飲食店のホールのアルバイトを9カ月くらい、やっぱり今一度就職してみようと転職活動をして意外とサクッと決まった会社はあともう少し頑張ったら1年という頃に心を病ませてしまい退職、その後タイミングの妙で出逢えた板羽先生の元でつたないアシスタントをさせて頂きながら私は先生から懐や胃袋、そして心のアシストを約7年してもらったわけ(アシスタントだけにね!!アシスタントは私なのにね!!!)なのですが。

小学生時代の登校拒否や周りの子に比べて欠席の多かった自分を引っ張り出してきて週5フルタイムの労働が1年以上できなかった事へのコンプレックスを太らせ続けてきたのでした。
会社都合とか、向いてないなとかこのままいるともっと大変になると自分で思ったそれぞれの時期のやめた理由、週5ではなくても労働を積み重ねられてる事実とか、仕事をする理由つまり支出をまかなって生活を維持できている状態などは全く見ずに。
ただひたすら
「この一生でなんかこう、たくさんの人ができるっぽい感じのある週5で行くってやつが私は行けない。畜生。私は畜生なのか」
的な。

2月に3年の派遣勤務を果たせた事でその呪縛から解放されました。
先に述べた元先生の本屋さんがくれた「3年やれたらどこでもやれる」のおまじないの達成と共に。

解放された今は「完全にそんなに固執するもんじゃない案件に長くしがみついてましたね笑、大変にお疲れ様でした。」と思えるのですが、以前は本当に真剣に、人生における一生外れない足枷みたいな、重要な闇の案件だったんですよね…そしてそれは外れた。そして1社で働けただけでなく更に違う会社でも働けているという現在進行形の記録が自信となり日々蓄積している。

長年のコンプレックスを打ち砕く事が出来てすごく心の風通しがよくなった気がするのですが
若干スカスカするというか。
おそらく私の今のこの状況、築き上げなくてもいいのに勝手に築き上げた強大なコンプレックスを頑張って頑張って頑張ってついに倒して、なくなってみたら燃え尽きてるわけです。勝手に。
社会という巨大な存在と、普通とかいって最強なんじゃね??普通の事ができる普通の人達の眩しさにねじ伏せられ、劣等感の中で戦ってきたと思ってたけど全てがひとり。
敵を作ったのもその敵と戦ってたのも倒して燃え尽きてるのも俺やで!未だ健在のぬいぐるみ遊びと一緒…!
ずっとひとりすぎてもはや少し面白いのですがしかし、面白いと同時に燃え尽きている張本人でもあるので、この先どう生きていこうという事を考える最近の日々です。

小学校の登校拒否をしていた時、当時親に迷惑をかけているなと日々思っていて、迷惑をかけなくなりたい、からの学校に行けさえすれば迷惑をかけなくなるのに、からのそう思うけど毎日それができないという思考回路をひとり毎日繰り返し毎日煮詰め熟成させた結果、「親に迷惑をかける事は生きてる価値がなくてそれをしている私には生きる価値がない」みたいな感じになり、たぶんそこから私はずっと「生きててもよくなりたかった」んですよね。煮詰めたね〜〜!?
でもその論でいうところの生きててよくない間もずっと生きてたし
その論でいうところの生きててよくない時を経て遂に生きててよくなれた。
でもずっとなりたかった状態になれたらなれたで燃え尽きる。
もう頑張らなくてもいい…?
逆に頑張りすぎて死んでもいい…!
そしてそんな事を考えてる間も生きてる……

生きてて良くても悪くてもどう生きるか決めあぐねてても、日本という国わりと死ぬまでは生き続けられるなこれ…?!

ずっと自分は弱いと思ってきたんですけどめっちゃ強いですね…
自分で命を絶ってしまうところには絶対行き着かない生への執着とふてぶてしさ、独りよがりのコンプレックスを築き上げてそれに何十年も固執し着手し続ける頑固さと根気強さの強さです。その強さヤダ!めんどくさすぎる!!(>_<)

この強大なエネルギーを有効活用できる術を見つけて何かしら頑張りたいんですが、文章を起こしているうちに何かそのヒントに気付けたりしないかなという期待も持ちながらこの文章を書き始めたのです、が、あんまりわかりませんね…。
めんどくささばかりがわかりました。自分で自分がおぞましいです。
生きてて良くなった今、有用になりたい…!
あともし可能ならひとりじゃなくなりたい…

引き続きます。

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