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武田惣角と大阪との関わりについて6

(承前)昭和11年2月武田惣角は時宗を随えて仙台に至り惣角門人陸軍少将梅津喜一(当時仙台市議会議員)の紹介にて仙台第二師団四連隊元戸山学校剣道教師陸軍中佐三田村正之助以下将校一同並びに仙台憲兵隊本部憲兵中佐袖岡静太、同分隊長憲兵大尉金沢朝雄以下20余名に大東流を教授した。仙台警察署において幹部指導している時、二・二六事件起こり、内大臣海軍大将子爵斎藤実が暗殺された。斎藤実は岩手県元水沢藩の出身で西郷従道に引き立てられ明治31年海軍次官となり明治39年海軍大臣、大正7年総理大臣外相兼文相、昭和10年内大臣となり二・二六事件により死去した。明治の頃、武田惣角東北方面大東流指導普及に際し、斎藤実に支援を受けていた。惣角門人梅津喜一を随えて斎藤実の水沢の実家の葬儀に参列した。

4月、埼玉県警察課長教習所長地方警視高橋良磨以下幹部9名に大東流を教授して浦和警察署、埼玉県巡査教習所にて大東流の講習を行った。この時、私(時宗)は切り抜きされた「今卜伝」の記事を大切そうに持っている門人たちを目撃している。

5月、埼玉県大宮警察署長警部吉沢善次郎以下17名、東京朝日新聞社長石元亀吉以下16名に大東流を教授した。さらに「今卜伝」の記事による波紋は大阪まで及び

6月惣角は、大阪朝日新聞社より要請を受けて来阪した。惣角が門人長谷芳郎宅2階(住吉区阿部野筋2丁目)に寄宿していたところ、「今卜伝」武田惣角来阪の報に大阪朝日新聞社営業局長刀禰舘正雄、営業部長久琢磨以下剣柔道猛者達十余名が訪れた。(続)

補足説明:「6月惣角は、大阪朝日新聞社より要請を受けて来阪した。」とありますが、最初は惣角が単身で押し掛けたのでした。有名なエピソードです。(続)

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