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いままでの合気道・これからの合気道3

徳川時代初期の例で見ると、新陰流兵法では、柳生十兵衛三厳著の『月の抄』によれば、代々自流や諸流派の研究の他、和(やわら=柔術)では、良移心当流や起倒流についても研究していたことがわかる。一方、小野派一刀流では、その『大目録口伝書』の中で
  他流様意勝共令相伝畢
 新当卜伝流 一太刀之事
 新当有馬流 無一剣之事
 新当一派流 玉簾之事
 東軍流   延討之事
 中條流   十二清眼之事
 真影流   真妙剣水月之事
と6流派の研究資料を残している。剣術諸流派の中でも一二を争う両派だけあって、自流だけでなく他流も研究しており、徳川家指南役に選ばれるのも当然であった。

現代のように、流派研究が自由にできる社会環境の中では、例えば、空手・キックボクシングなどそれぞれのテクニックをマスターした立場での合気道に対する研究・批判をよく耳にする。その代表的なものは「合気道は入門から初段まで」という厳しい言葉である。戦後普及されてきた合気道は武術そのものよりか、健康法としての存在が強かったからであろう。一方、空手・キックボクシングは格闘技として出発していることから、それぞれの研究結果は格闘技的視点からの分析である。しかしながら、それは研究足らずであって、合気武道をたしなむ本道を歩く者には不適格な言葉でもある。

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