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杖道護身の心得4

(承前)剣法はその発達の跡を見れば判るように、武士が真の武士たるための必須の教養として学ばれたものであって、その趣旨はあくまでも人間完成の心身学道という点にあったことは明らかで、ただその技術が闘争の形態をとり勝敗の形をとるので、ややもすれば殺伐に見る人もあるが、それはどこまでも過誤であり剣法を知らない者の言であります。その流名を見ても分かるように神道といい、無念といい、直心といい、無刀といい、天心というように勝敗の両頭を超断して、人間本来の根源的な主体性を剣の上に発露して自在を得ようとするもので、剣の作用を凝視してそこに流れ出てくる人間という、この未知なるものを掴もうとする道であるといってよいと思います。剣の道は殺し合いの術ではなく、実に人間の道なのでありますから、我々杖道の部員も決して悪技とならぬように、十分に剣禅一致を認識して、社会的にも精神訓練を客観的なものから具体的なものへ、抽象的なものから具体的なものへ、さらに進んで観念的精神から活動的人間へと掘り下げるべくお互いに心がけたいと思います。(続)
補足説明:神道:鹿島神道流・神道無念流・神道無心流
     無念:神武無念流・鈴木派無念流・天則無念流
     直心:直心流・直心影流・直心正統流
     無刀:一刀正伝無刀流
     天心:天心流・天心一刀流・天心獨明流
流派の名前からその本質に迫ろうとする鶴山先生、なるほど、という視点です。
大坪先生の言葉「新陰流は“兵法”と称し“勢法”という。兵は“力”であり、法は“法則”である。正しい法則に基づいた“力”でなければ暴力になる。その法を学ぶためには学問により、自己の人格打成に務め、常に天地自然の理の中に生きねばならぬ」

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