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女子護身術6

以上が、電電公社の厚生活動として実施された第1回目の「女子護身術」講座の概要です。高橋氏の報告からは、裏方など関係者の苦労が伝わってきます。その甲斐あってか、この講座は各方面から好評を博したようです。そのことは、翌昭和44年6月に第2回目、昭和45年7月に第3回目の「女子護身術」講座が開催されていることから、わかります。

その後、鶴山先生は、昭和48(1973)年11月に電電公社を退職し、翌昭和49年から朝日カルチャーセンターの「女子護身術」講座(後の合気道教室)の講師を始めました。ここでも、最初は「女子護身術」だったのです。

さて、この「女子護身術」の先駆けは、久琢磨が著した『女子武道』にあると思います。
ということで、その巻頭言の一部を紹介します。

神武の精神 朝日新聞社理事・大東流合気武道免許皆伝 久琢磨
(前略)余は一昨年紀元2600年(昭和15(1940)年)記念として『惟神の武道』更に昨年7月『捕技秘傳』と題して本流の一部を出版、非常時日本の朝野に紹介せるが、今又各方面より熱烈なる御希望の次第もあり。ことに陸軍中将吉住良輔閣下の熱情あふるる御激励と御鞭撻を得、浅学非才技量未熟をも顧みず『女子武道』と題してあえて本冊子を発行せる次第であるが、(中略)本誌が多少なりとも皇国婦人の信念を練り、婦徳を磨く、よすがともならば、望外の幸せである。(以下略)
 
『惟神の武道』も『女子武道』も「大政翼賛武道報国」の趣旨があったことには違いありませんが、その本旨は久琢磨が希求した「正義と平和」というところにあるのでした。(完)


『女子武道』から
『女子武道』から

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