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骨法の堀辺が来た7

「では、最初の方で言った『これらの真相を知るには東中野駅前にある骨法武術館の歴史を調べればおのずとその回答が出てくる。』部分について今一度言ってください。それも書いておきますから。」というと、あっそうか、と思い出したように次の3項目を指摘した。
①真相云々の言葉は、最近はやりの三浦和義などの犯罪人扱いではないのか。(ロス疑惑=ロサンゼルスで起こった銃殺・傷害事件に関して三浦和義にかけられた一連の疑惑のこと)
②真相とは、何のことを言われているのかお聞かせ願いたい。
③こんな出鱈目を書いて、良くその実態を調べもせずに、真相云々というのは何ごとか、責任を取ってもらいたい。なお、甲冑武術と現代武術について、「古代の甲冑武術に写真のような足を上げた高い蹴りが果たしてあったものか、組形写真を見ても疑問だらけである。」と書いてあるが、私は近代骨法が古代から続いていると一度も言ったことがないし書いたこともない、と言うのである。
これは誰でも自己矛盾の言葉として疑問を持つであろう。第一に骨法のルーツは古代或いは万葉集にもあり、我が家の家伝であると主張していること、それを印象づけるため骨法52代司家を名乗っている。第二に千葉の初見良昭(はつみ まさあき)の骨法(虎倒流骨法術八法秘剣のこと)はおかしいと批判していること、から彼の手記を読んだ者は誰でも彼が自作自演の新作骨法であると思いつつ、真相を知らない者はいなかったと思う。
「私(鶴山先生)は、教室で甲冑武術の歴史を教えており、私がやっている大東流(柔術)は古武術ですから甲冑を外しては説明が付けられない。植芝合気は別系統のものに過ぎない。」と言うと、「植芝合気は、あれはたいしたことがない。」と急に同調したことを言うが甲冑武術については反論してこなかったが、「『足を上げた高い蹴り』は私(堀辺)なりに信念を持って主張していることで、いつどこででも公開試合してもいいですよ。」そこで私は、「試合をやるかやらないかは、武道感の違いですね。」と言った。そのことに彼は何も答えなかった。それなりに古武道、現代武道とはと色々本を読んでいるのかも知れない。何ら反論せず再び、
「この会報が学術的なものならよいが、学術的なものは一切ないのだから、それならどちらが正しいか公開の試合で決着を付けてもよいですよ。」とことさら公開試合にこだわるが、古武道は違うのである。号外(14号)は中傷記事と言っているが、それは連載1~17まで読めば明白だが、あえてそのことには触れなかった。

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