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大東流の三大技法8

さて、地之巻=柔術は小野派一刀流を基礎技法とし、人之巻=合気柔術は新陰流兵法を基礎技法としている。いずれも四方投がポイントの技になっている。天之巻=合気之術は兵法である。これら大東流3大技法の体系は、会津藩が叡智を傾けたもので、西郷頼母が個人で権益化すべきものではない。旧東北諸藩に指導することを約束させ、武田家代々という伝承スタイルを虚構し(権益を許す)、代わりに東北の官吏などに教えることによって会津魂を発揮させたのであった。この約束の下、明治31年から大正11年に大本教の指導に行くまで、惣角の行動様式は基本、変わらなかった。

惣角が頼母の所を訪ねたのは6か月ほど、その間に膨大な大東流技法を覚えたのか、というとこれは違う。頼母は大東流のとりまとめ責任者であった。そこで、この人にはこの技法(地之巻)を、あの人にはあの技法(人之巻)を、と指示して手紙を出し惣角を差し向けたのである。英名録の最初の記録は、明治29年元仙台藩家老家の亘理胤正(わたりたねまさ)他で、家中の者に指導していることがわかる。英名録の解明が行われれば、このあたりいろいろ詰めることができる。

では、惣角を教えた人たちは何故(他の人に)教えなかったのかというと、今でいう守秘義務を守ったことと、(かつての)上級武士として格式(プライド)を重んじたからであろう。また、家柄も良かった指導者達は、指導料をとるという発想もなく、サムライでなかった惣角には当然無償で指導したのである。

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