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骨法の堀辺が来た6

私は①と項目を筆記しながら、彼に催促した。
②「『昭和50年頃の看板は大東流伝合気道になり、その次が・・・』と書いてあるが、この文章では私(堀辺)が大東流伝合気道を名乗っていたように受け取れる。大東流伝合気道は私の前にやっていた吉丸貞雄氏が佐川さんの許可を受けて創始したものである。」吉丸貞雄(後に慶雪と名乗る)と堀辺正史の関係などは号外15、16号に詳しいが、それは言う必要がないと思ったので黙っていた。
「アー、そうですか吉丸君が創始したものですか?」と私が答えると、彼は意を得たという調子で、
「吉丸君と私が一緒に佐川さんのところを尋ね許可を受けたもの、何なら吉丸君を呼んで一緒に佐川さんのところへ行っても良いですよ。」と得意げに主張する。がこの主張はおかしな話である。第一に吉丸と堀辺は謝礼金問題でケンカ別れしているのである、これは堀辺の虚勢であることがすぐ判った。第二に吉丸が換骨拳のインチキと骨法の出鱈目さを空手界で吹聴していたからである。
「それでは大東流伝合気道は吉丸貞雄氏が佐川先生の許可を取って創始したもので骨法とは関係がない。これで良いですね。」と確認を求めた。
「『換骨拳』と書いてあるが、本当の名称は『換骨拳総本部』である。これは私が昭和52年頃創始したものである。」昭和52年度創始も換骨拳総本部も号外の中で詳しく述べていることだが、それを言うと号外を見せろということになるので、黙っていることにした。「それからどこですか?」
「ここに書いてある『鷹爪(たかのつめ)武術館』の看板は出したことはない。しかし鷹爪骨法の名称は教授科目の中に入っていた。」「それでは、そう書き直しましょう。」「骨法武術館の看板はその後である。」「それでは、骨法武術館はよいのですね?」相手はうなずく。

第6回連載用

換骨拳入門(非売品) 編者:吉丸貞雄 発行者:換骨拳総本部
まえがきに「本書は、換骨拳第四十世宗家渡辺一夢先生の換骨拳総本部における御講話・御教示を基として、換骨拳についての大略の知識を述べたものである。(以下略)」とあります。

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