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新陰流考3

尾崎秀樹(おざきほつき=ゾルゲ事件の尾崎秀実(ほつみ)の異母兄弟)が歴史読本10号に「武蔵の剣、柳生の剣」の比較を書いている。サブタイトルに「柳生家に比肩しうる剣技を誇りながら、武蔵は何故体制に容れられなかったか」とし、政治の剣と個性の剣を見出しに使っている。武蔵に対する扱いは、最後の文章「過渡期に生きた最後の剣客」の中で、

「戦国から安土桃山期にかけて、諸国に群雄割拠すると、諸公は争って豪傑や剣客を求める。武芸に秀でた勇者は主仕えをして、上手くいけば千石以上の客将に迎えられることも可能となった。彼らの夢は大名家に仕官することである。豪商や土豪の用心棒になるよりはるかに名誉だ。勢い売り込みのため『天下一』の看板をかかげ、諸国を遍歴し、他流試合を行い、時には陣がりして功名手柄を競うことになるが、その夢を最大限に満たすことが出来たのは、将軍家指南役となった柳生宗矩や小野忠明だ。しかし、その数は限られている。武蔵も選ばれなかった一人である。幕藩体制が整えられるにつれ、身分制も固まり、剣客が一剣をもって挑戦する機会も減った。まして元和偃武以降は彼らの自由な意欲を法と制度が縛るようになる。そうなると、武士と生まれ剣は武士の魂という、身分を象徴するだけのものと化するのだ。武蔵はその過渡期に生きた戦国最後の剣客で、それだけに孤独な寂寥感をともなう宮本武蔵の思弁的、思索的は晩年の姿は、形骸化した形而上学的化する剣の方向に対する最後の抵抗を示すものだ。」と結んでいる。

が、これはあくまで文献上の一般論を要約したものであって、剣とは何か、新陰流とは何か、何故将軍家指南役となったのかを全く理解していないものである。評論家、レポーターとしての限界があることを示している。

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