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骨法の堀辺が来た10

「責任を取れ、と貴方が言って来たのですから、それならどうしたらよいのですか。」
「今後、骨法の記事を書かないで欲しい。」と本音を出してきた。
「それは良いでしょう。しかし私の考え方も言わせてください。貴方は骨法の創始者だから、骨法については第一人者という自覚があるでしょう。それと同じように大東流に関しては、私は第一人者であると自覚しています。私のレポートも大東流に関して問題にしている訳で、大東流の実体を知らない貴方が大東流と骨法を比較すること自体がおかしい。」と言うと、
「今後は一切大東流のことは書きませんから、骨法のことは今後書かないでください。」と言ってきた。これで結論はついた。
私が「骨法52代司家堀辺師範の誤解釈を正す」と連載した目的はそこにあったからである。この号外は、それなりに配布制約はかけてあったが、武道界の常識として、口コミで必ずこのニュースは流れることを長年の経験から知っていたからである。そのとおりに流れて骨法に対する不協和音があちこちから聞こえてきたので、直接来て、会報資料を手に入れたかったのである。そこで「会員になってもいい。」など発言していることからも判る。同時に仮に裁判を起こすにしても材料となる資料がなければ、何をどう書いていいか、実体が判らなければ何もできないということであった。
後日、会員のN君が私の所に来て、「一度申し上げたいと思っていたことがあります。今回の骨法に関する連載のことですが、これまで先生が発表された本のイメージと今回のレポートのイメージは全然違う。あのようなことは止めた方がよい。あんなチンピラを相手にすると先生の格が落ちてしまう。無視すれば良かったのだ。」と私のことを心配しての発言があった。こんなこと(連載記事)をしても、問題が解決しないばかりでなく、後々そのマイナス面を取り返すのに相当の時間と労力を要する、というのである。私もそのことは考えたが、堀辺と直接会うことが出来、私が抱いていた吉丸氏から伝えられた大東流認識の誤りを訂正させることができたのである。
今一つ、このレポートを書いた目的がある。堀辺のわずか数行の大東流批判に対し、これだけのものを書く男、恐ろしき男、なかなかの理論家等々、うっかり大東流批判をすることはできない。批判をするなら相当に突っ込んだ研究をしてから・・・といった私に対する印象を植え付けることである。そして、合気会系の人が研究すればするほど私のロジックに巻き込まれるといった構想があったからである。大東流の第一人者は私であるということをハッキリさせる、つまり堀辺はそのツマミであったわけだ。まさしく戦略的な問題であり、この発想そのものが大東流である。(完)

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