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骨法の堀辺が来た(続)22

(承前長野君の手紙)
面白いことに藤原氏の「拳法の歴史・日本編、日本の古代拳法」に、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の決闘の話しが取り上げられ、次のような見解が示されています。

「この決闘を単なる野見宿禰と当麻蹶速の個人的勝負事と見るのは誤りであろう。つまり、当麻蹶速に象徴される大陸から渡来した豪族の一党が二上山麓一帯に巨大な勢力を張り出してきたので、その脅威におびえた大和朝廷が、出雲の豪族を引き込んでこれを討滅した物語と考えた方が判りやすいのではないかと思う。」(近代空手8月号63頁)

これは、文献資料に基づいたオーソドックスなものです。堀辺氏が大切な基礎文献とする『日本相撲事始』というような幼稚な見方とは違うものでしょう。歴史観のある分析と歴史音痴の文章が同じ雑誌に共存している、ここに『近代空手』の奇形を感じます。
藤原氏は次のようにも記しています。

「拳法は格闘の技術であるから当面の敵を倒し(中略)拳骨(手刀)はその使い方によっては敵を殺すことは出来る。しかし(中略)確実に敵を殺すことに目的を絞るなら、古代人と言えども、拳骨などの如き不確定な手段は選ばず(中略)したがって“一撃必殺”などという言葉は、法制が整備され道徳が普及した近代社会における一種の遊び言葉であって・・・(以下略)」(近代空手8月号63頁)

つまり、戦闘に素手で参加するなどプロの行うことではないということでしょう。(続)

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