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会津紀行11

白虎隊休憩所が表通りにあり、ここで遅まきの昼食である。全員700円のカツ丼を食べ、お土産を買った。6時までに郡山駅に着くには約2時間は見なければならない逆算するとあと1時間ちょっとしかない。日程では西郷頼母の墓も見たかった。結論は白虎隊記念館は無くしたわけではない、詳しくは後日改めてということになり、大急ぎで回ることになった。
まずは、滝沢本陣である。白壁の塀をめぐらせた立派な茅葺きの建物である。文禄4(1595)年の建築といわれる、17世紀の半ば寛文元(1660)年に本陣として増改築された建物だという。当時は会津藩主が参勤交代のときの休憩所(帰りと思われる。)として使われたもので、戊辰戦争では本陣として使われたことから重要文化財に指定されている。ここは写真だけ撮って、急いで飯盛山に登ることになった。会津と言えば誰でも知っているのが白虎隊である。紅顔可憐の美少年が華と散った戊辰戦争の哀話であるが、私は満で16歳のとき志願兵で兵隊に行っただけに、それは当然のこと別に何の感じも受けなかった。山頂(341m)までは石段を登ると5分、大坪先生は足が悪いので途中までスロープコンベア(180円)で登った。山に登り着くとドイツとイタリアから贈られた慰霊碑があった。これには見覚えがあると思ったら、中学校の教科書に出ていたことを思い出した。
白虎隊記念館は財団法人であった。弁護士の早川喜代次さんが戦時中から史料集めをしたもので、学術的価値があるものであったが、内容をゆっくり見る時間はなかった。面白いことは、会津武家屋敷は株式会社であり、白虎隊記念館と内容的に対立していることが判った。会津武家屋敷側の対抗意識は強いものがあった。館長(早川氏)に浅草おこしのお土産と護身杖道の本1冊を贈呈して来た。

下の写真は、白虎隊記念館のリーフレットから転載 なお状箱とは、書状を入れ使者に持たせる箱のこと

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