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大東流の三大技法(続)13

それは、大東流構成者、プロジェクトリーダーが西郷頼母であったから、と考えられます。西郷家の役割は藩主の教育係、藩内の儀式・祭事など綜合的に司ることでした。その様な家に生まれた頼母は英才教育を受け大成したのでした。頼母は27歳まで江戸藩邸に居住し、江戸城内の警護を受け持つ番衆、北大手門の番衆頭を務めました。警護担当ということは、武芸に通じる必要もあり、武芸に秀でた者が選抜されますから、この役目を担うことで様々な武芸にも通じていました。なお、頼母は溝口一刀流、大坪流馬術、長沼流兵法の免許皆伝でもありました。
また、頼母は古今の学問、宗教、伝説、説話にも通じていた当時一流の知識人(ほぼ学者)でもありました。歌人としても有名です。

このような頼母率いるプロジェクトであったからこそ、単なる武術が、奥深い神秘に包まれた不思議なものとして、とりまとめられたのでした。技とそれにまつわる伝説、学問、宗教観が組み合わされあらたな魅力が生まれたともいえます。言ってしまえば、単に箔を付けただけなのですが、これが実に巧みで、見えないところまで金箔で覆ってしまったのです。そうすると、これにだまされる人も現れます。
戦後、大東流技法の一部を用いて雨後の竹の子のように偽の古流武術が生まれましたが、その一因となったのです。
このような大東流ですから、様々な宗教やその他武芸とも親和性が高かったのです。

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