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「ベルファスト」≪終章≫少年の日のノスタルジー、映画・演劇へのオマージュ

(↑トップ画像)桜吹雪のじゅうたん。近くの公園に人影もなし

「チキ・チキ・バンバン」に前のめりではしゃぐ幸福な家族

映画「ベルファスト」は、監督のケネス・ブラナー自身の映画や演劇に対するオマージュ(敬意)が作品に色濃く反映されているような気がします。
 
ベルファストは造船労働者が多く暮らす庶民の街ですが、物語の主人公であるバディ少年の家にはTV受像機が備わっていて、兄といっしょにアメリカのスペースドラマ「スタートレック」に夢中になる場面が出てきます。
 
さらに、バディ少年は家族全員で映画館に出かけ、昭和の日本がそうだったように、映画が庶民の娯楽だったことをうかがわせます。

映画「ベルファスト」「恐竜100年」を観るバディ少年一家

また、それらの映画作品が「ベルファスト」の物語の進行にシンクロしていくという絶妙な仕掛けになっています。(以下、登場順)
 
1) ラクエル・ウェルチ主演「恐竜100年」(1966年)
2) ジョン・ウェイン主演「リバティ・バランスを射った男」(ジョン・フォード監督、1962年)
3) ゲイリー・クーパー主演、グレース・ケリー共演「真昼の決闘」(フレッド・ジンネマン監督、1952年)
4) ディック・バン・ダイク主演「チキ・チキ・バンバン」(1968年)
 
これらは、バディ少年に姿を借りたケネス・ブラナー監督が、自身のノスタルジー(追憶)の中に、映画へのオマージュ(敬意)を刻み込んでおきたかったのではないかと思われます。

映画館の暗闇でスクリーンに魅入るバディ少年(映画「ベルファスト」より)

“映画愛”を描いた「ニュー・シネマ――」と「ワン・セカンド――」

ところで、映画に魅せられた少年といえば、「ニュー・シネマ・パラダイス」(ジュゼッペ・トルナトーレ監督、イタリア、1988年)の“トト”があまりに有名です。

映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のトト少年

のちに映画監督となる愛称“トト”少年は、故郷シチリア島の小さな村で映画館に入り浸り、映写技師に可愛がられるという回想シーンから始まりますが、全編が“映画愛”と人情味にあふれ、驚きのラストも映画にまつわる感動的なエピソードで終わります。
 
また、少年が主人公ではありませんが、“映画愛”つながりなら、「紅いコーリャン」「グレートウォール」などの名匠チャン・イーモウ「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」(2020年)も静かな余韻を残す秀作でした。

昭和の映画館を彷彿とさせる「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」の中国の村民たち

――ある中年男が、本編前に上映されるニュースフィルムに、ほんの1秒だけ、娘が映っていると聞き、それを見たさに強制労働所を脱走し、スクリーンの中に娘を見届けることができるかどうか、こちらはハラハラドキドキするという展開。
 
1960年代、中国文化大革命のさなかでしょうか、まわりに砂丘が広がる貧しい暮らしの村で、月に1回だけ映画が巡回されてきます。
上映作品は決まって愛国的な革命映画ですが、それでも心待ちにしている村民の熱気がハンパではなく、チャン・イーモウ監督はスリリングな展開のなかに、生活は貧しくとも熱烈な民衆の<映画愛>を描きたかったのだな、というのが十分すぎるほど伝わってきます。

シェイクスピア俳優であることの矜持

さて、「ベルファスト」の過去へのオマージュは、映画だけではありません。
 
あるとき、バディ少年は、祖母(扮するはジュディ・デンチ)と地元のグローブ劇場に「クリスマス・キャロル」(チャールズ・ディケンズ原作)の舞台を観に出かけます。
 
この舞台を両親や兄とではなく、祖母役のジュディ・デンチと観に行くというところがミソです。
 
ご存じのように、ケネス・ブラナーは、イギリス演劇界の名門<ロイヤル・シェイクスピア・シアター>出身の演劇人です。
 
“ローレンス・オリヴィエの再来”と言われるシェイクスピア俳優にして“サー”というイギリスの貴族の称号を与えられ、たとえハリウッドなどの数々の映画出演で名声を得たとしても、舞台に立つことが俳優の原点である――そんな矜持(きょうじ)が「クリスマス・キャロル」の場面に込められているような気がします。
 
そして、ジュディ・デンチもまたイギリス出身、1934年生まれで今年12月には89歳になる超ベテラン俳優で、日本でも<ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー>の一員として来日公演したことがあるほど、古典劇から現代劇までをもこなす実力派俳優です。
 
おそらく、ケネス・ブラナーは、イギリスが誇るレジェンド俳優に「クリスマス・キャロル」の芝居を観せるという設定で、ジュディ・デンチそして古典演劇に敬意を払ったのではないでしょうか。

フランソワ・トリュフォーと是枝裕和の“映画愛”

一時代前の話になりますが、フランソワ・トリュフォー監督が、アルフレッド・ヒチコック監督にその映画づくりの舞台裏を詳細にインタビューした分厚い『映画術』(1981年、晶文社刊)という本を読んでみると、斬新な映画技法を習得しようとしただけでなく、後世のために記録として残し、若い人たちにその映画技法を受け継いでもらおうとした情熱を感じます。
 
是枝裕和監督もまた、「海街diary」のカンヌ国際映画祭発表時に、“小津(安二郎監督)の孫”と映画ジャーナリストから呼ばれたそうですが、小津安二郎作品よりも成瀬巳喜男監督の作品のほうが好みと言いつつ、小津監督がこよなく愛した神奈川の海辺の旅館「茅ヶ崎館」を脚本執筆の際の定宿にするなど、そこには日本映画の素晴らしさを作品を通して世界に広めた映画監督とその作品へのひそかな尊敬の眼差しが感じられます。
(2015/06/11琉球新報「是枝裕和監督、本当は小津が好き?ご本人に聞いてみた」より)

世界の俳優はみな、ジュディ・デンチのファンだ

最後に、ジュディ・デンチは、日本のシェイクスピア俳優と言われる大俳優が、あるインタビューで語っていたように、日本の劇団「俳優座」「文学座」「雲」などが輩出した“新劇”俳優であれば、みな憧れたという名優で、わたしもファンの一人です。
 
意外なことに、155cmと小柄ながら、「007」シリーズでは怪しげな<M>という役を17年間演じ、世界にその名を知られました。
 
とにかく芸域が広く、米国アカデミー賞に7回もノミネートされましたが、「恋におちたシェイクスピア」(1998年)でついに助演女優賞に輝き、最近では、イギリス史上でもっとも有名な女性スパイの実話をもとに主演した「ジョーンの秘密」(2018年)の抑制された演技が光ります。
 
本作「ベルファスト」では視力が衰えた身ながらもケネス・ブラナー監督の出演依頼に即座に応じ、シナリオは監督に代読してもらってセリフをマスターしたというエピソードをジュディ・デンチご本人自らが語っています。

映画「ベルファスト」のラスト近くのジュディ・デンチ
セリフはなくともその表情がすべてを物語っていた。

(おわり)

**3月の惜別**

劇団「民藝」出身の名優、奈良岡朋子さんが今年3月23日に93歳で逝去されたことが同月29日に発表されました。
わたしは森光子主演「放浪記」の舞台に立たれるのを観たのが最後でした。
 
「YMO」元メンバーであり米国アカデミー賞受賞の作曲家でもある坂本龍一さんが3月28日に71歳で逝去されました。
「YMO」のライブ演奏はアメリカ出張中にマンハッタンのホールで、のちに静岡県の会館で拝聴しました。
 
お二人のご冥福をお祈りいたします。
 
そして――、
学生時代からの親友盟友にして、ともに社会を変えようとした同志Y・Y君!
3月15日が早すぎる命日となってしまいました。
名文を遺した君のこと、まだまだ、やり残したことがあったかと思いますが、今は安らかに眠ってください。

合掌!


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