音MADの取っつき辛さはその発展に貢献していた?

音MADって取っつき辛い印象があるじゃないですか。
特にここ10年くらいの音MADは台詞合わせに、音合わせに、人力VOCALOIDに、と普通の人間なら一生に一度も経験しないような技術がこれでもかと詰め込まれるようになりました。
最近はその高クオリティ路線から意図的にずらしたような作品が流行っていますが、大枠の流れとしては、そうしたずらし表現をも巻き込む形で音MADの技術水準・作品クオリティは上がり続けていると思います。

この記事で言いたいことはそうした音MAD技術の高水準化・専門化が、音MADの高水準化に結び付いたということです。
技術が高水準化して動画のクオリティが上がるのは当たり前じゃん!・と、あなたは思っていることでしょう。

そうです。この記事の論旨は、技術が誰でも使えるように大衆化するとそのジャンルはいずれ衰退していくということです。

と、いっても小難しい説明じゃありません。
①あるジャンルに誰でも手を出しやすいと、そのジャンルに手を出す人が増えます。
②安易に手を出す人が増えるので結果としてそのジャンルはクオリティの低い作品で溢れます。
③平均クオリティが低いので、そのジャンルの作品を見る人が減ります。
④見る人が減り、反応がなかなかもらえないのでそのジャンルで作品を作ろうとする人が減ります。

よく『コンテンツの一生』として、Twitterなどで拡散されているものなので、見たことのある人が多いと思います。

音MADは時の流れとともに、技術が専門化し、また作品を見る人がある程度固定化されることで(音MAD見る専)、そのジャンル内(音MAD界隈)で、限られた人々(音MAD作者)が安心して作品を作られる環境となりました。
しかも、音MAD界隈(ここではニコニコの界隈のことを指す)は、完全にガラパゴス化することはなく、定期的に外部から新しい技術を導入し、我が物としていきました。
さらに音MAD作者の数も、カテゴリとして独立できるほど多くはなく、ジャンルが成立しないほど少なくはない、という絶妙なラインで推移してきました。

もちろんジャンルの専門化にも、ジャンル外の人々にはそのジャンルの作品の面白さが分からなくなる(内輪化)・という短所があります。

しかし、音MAD界隈は過去に何度も外部の文化を取り入れ、新たな表現を生み出し続けています。
今でも音MADが一般人にウケることがあるのは、上で述べたように、ジャンルがいわば半分開かれたような状況にあることが関係しているやも知れません。

音MAD技術の高水準化・専門化は内輪化を引き起こしもしますが、それと同時に大量の大衆によって音MAD自体が使い潰されることを防いでもきました。

外部の文化を取り入れつつ、内部で独自の文化を発展させ続けてきた音MAD界隈は、実はかなり幸運だったのではないか・とTwitterを眺めながら思った次第でした。

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