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5月人形を買った話

今月からイチは年長さんへ進級、ニイも無事入園を果たした。ニイの慣らし保育とイチの保育園の再開は多少のトラブルはありつつもおおむね順調に進んでいて、ほっと一安心してる。私にとっては、やっと一息つける時間が安定してとれるようになってきたところだ。
ニイはついに離乳食も始まり、偶然にもそれに合わせて小さな前歯が頭を出した。これからは授乳が恐怖のチキンレースとなる。赤ちゃんは何故親が痛がるとニヤァ…と笑うのか…。

先日、母から5月人形の写真が送られてきた。下見に人形の町・松屋町へ行ったらしい。
子どもが生まれてから、やれ産衣だ、やれ節句人形だと言ってもらうことはありがたいことではある。ありがたいことではあるのだけれど、現代の狭小住宅に住む我が家に子どもの晴れ着を保管する桐の箪笥はないし、節句人形を飾る床の間ももちろん存在しない。そして、性格的にも季節に合わせて節句人形を出したり仕舞ったりするようなことができるタイプでもない。保育園で節句の製作などもしてくるし、モノはかさばって場所も取る。高級品故に適当に放っておくことも難しい。まとめると、大変無礼ではあるけれど、正直に言うと、モノよりお金のほうがありがたいのだ。

イチの時は最大限拒否したものの、結局「小さいもので」ということで、ガラスケース入りの破魔弓が送られてきた。TV台の上にギリギリ置けて、引っ越すまではそこに置かれていたけれど、現在は本棚の上に鎮座している。
ニイの分は果たしてどうなるのか…と思っていたけれど、母方の祖母としてはやはり用意したかったようで、上述の通り写真が送られてきのだ。それで紆余曲折あって、母と私のふたりでお店に見に行くことになった。

私としては、正直節句人形は不要だと思っていた。まず置き場がないし、高価なものであるし、実用性のものではないし、将来にわたってずっと場所を取るものになる。だから、買うにしても以前見たことのあるウェッジウッドのプレートなんかがコンパクトでよいのではないかと思っていた。それならいつでも飾れるし、場所も取らない。

現物を見に行く当日、まず、松屋町の駅から一番近い節句人形店である久宝堂へ入った。
一階は天井が高くいわゆるショールームと言った雰囲気で、たくさんの鯉のぼり、そして兜飾りが展示されている。金額は一桁万円から始まり、逆に言えば、少なくともそれくらいはかかる。片手では足りないと思う。スポンサーである母の財布の大きさもわからないし、どの程度の価格がちょうどよいのかもわからず、そもそも不要と思っている私はそわそわと落ち着かない心持だった。一度来たことのある母はぐいぐいと中へ入っていき、「どれがいい?」などと聞いて来るけれど、私は「う、うん…」とあいまいな返事を返すことしかできなかった。程なくして接客についてくれたお姉さんが「気に入ったものを写真に撮ってみて、別のフロアにもまだ色々雰囲気が違うものがあるから、それを見ながら好みを探っていくのがよいですよ」と仰るので、では…とその通りさせていただいた。
とは言え、これが良いなと思えば15万円。あれが良いなと思えば30万円。置き方ひとつとっても、敷布タイプ、木の板タイプ、黒塗りの台、三日月型のモダンな台とたくさんあるし、兜そのものの色味も赤、青、緑と様々だ。弓太刀、屏風…とオプションも様々。相場もよくわからないし、いわゆる「格」というものもわからない。しっかりと歴史のあるお店ではあるので、どれも間違いのないものが置かれているのは事実なのだが、完全に迷子だった。

迷子になると疲労感がつのるもので、一旦店を出てお茶でも飲みながら如何に不要であるかを母に説得しようかと思い始めた頃、別の店員さんが話に入ってきた。

「京都洛冑会」という、京都の粟田口清信、平安一水、平安武久という作家さんたちが発足された会について伺っていた時だった。どちらを選んでも間違いがない品質ということはわかったけれど、残念ながらド素人の私からすると一見すればどれも同じにしか見えず、「それぞれの特徴や、推しポイントはどういったところですか?」と伺った際、その店員さんのスイッチが入ったように感じた。
99.9%手作りの粟田口、バランスにこだわった一水、広く普及している武久。極めて簡略して言えば、そういうかんじ。私としては、品質の高い町工場と共に作り上げているという点で、武久を好ましく感じた。ニイには、人とのつながりを大切にしてほしい、人を誰かやなにかと繋ぐ人であってほしいと願って命名したこともあって、ストーリーとしてのリンクを感じたからだ。

そのうえで、ではどこにどう置くのか、色味はどれがいいか、という話をしながら、いくつかの現物を展示スペースから動かして見せていただいたり、イチの破魔弓とほぼ同じものを別フロアからお持ちいただいて大きさのバランスを見たりしながら、最終的に朱赤の兜と兜をしまう箱のセットをご提案いただき、そちらに決めさせていただいた。

因みに、もともと私は若草色の兜が気になっていた。赤は強そうで確かに立派なのだけれど、それよりも若草色のやさしさ、瑞々しさがニイに似合うように思ったのだ。ショールームで見ていても、目が引かれるのは赤や紺よりも若草色だった。木製のプレートや、オークの三日月型の台に合わせると、新芽のような若草色が非常に美しく、この色にしようと思っていた。
ところが、兜を仕舞う黒塗りで金の装飾のついた箱の上に置くと、印象がまったくかわってしまった。若草色と朱赤を比べたときに、朱赤の方が色鮮やかで、圧倒的に「らしく」感じた。加えて、朱赤という色は厄除けの意味合いがあることを鑑みて、私は朱赤を選択した。

この接客をしてくださった方は楽天の店長さんであることが後々わかったのだけれど、流石の接客だったとおもう。それぞれのブランドや商品の知識、五月人形の意味合いはもとより、こちらの希望(サイズや置き場、保管方法など)を汲んだうえで使用場面を想像させ、その上で彼のおすすめを提案し、しっかりとクロージング。接客に説得力とストーリー、一貫性があり、とても気持ちよく買い物させていただいた。この方は信頼できると感じたので、他店には行かなかった。
こういう接客を受けると、本当に気持ちが良くて嬉しくなる。何を買うにしても、気持ちよくお金を払わせてくれる方と出会うと満足度が高い。商品知識だけでクロージングがないととても残念な気持ちになるし、単なる売る気持ちだけでも悲しくなる。特に今回私はあまり乗り気ではなかったことを鑑みても、それを乗り気にして、最終的に良いものを買わせてくださった手腕は素晴らしいとおもう。

こう書くとなんだかだまくらかされて買ったかのようになるのだけれど、決してそうではない。実際に五月人形を見に行って、色々な商品を見させていただきながら店員さんとお話をしていると、そこには子どもの健やかな成長を願う心が込められていることを改めて感じた。確かに場所も取るし、継いで行くものでもないし、ベイビーボーイもいつかはおっさんになる。けれども、古来から揺らぐことのない願いが、「節句人形」として伝統工芸という形で文化になっていることは、とても素敵なことだと思った。
紐の色ひとつとっても、病や禍から守ってくれる朱赤が選ばれていたり、箱の金細工には勝ち虫であるトンボの意匠が施されていたりする。細部にまで、子どもへの願いや想いがこめられている。

そう思うと、ただ単に実用性や置き場所だけを考えて、イチの節句人形を遠ざけたことは悪いことをしたのかもしれないなと思ったりもしている。本来破魔弓はお正月飾りだ。しかも、本棚の上でうっすら埃をかぶっている。

ニイの初節句は間もなくだ。早々に選んだ兜は到着するということなので、今年はイチの破魔弓もきれいにして、一緒に飾りたいとおもう。そして、来年やその先は3月末ごろから5月末までの楽しみとして飾ることを習慣づけたいなと思っている。

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