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「春になったら」

皆さん、先日最終回を迎えたフジテレビのドラマ、「春になったら」見ていましたか?
余命わずかの父と、結婚を控えた娘が「死ぬまでにやりたいことリスト」と「結婚までにやりたいことリスト」を実現していく、3ヶ月を描いたお話。

このドラマを見ようと思ったのは、木梨憲武さん演じる父が、12年前に亡くなった私の父と同じ、「膵臓がん」だったから。

過去に自分も体験した、「父が旅立つまでの日々」がどのように描かれるのかが気になって、一話から最終話まで毎週欠かさず見ていました。

「死」がテーマになっているので、毎話終盤で泣かされていたのですが、それと同じくらいコミカルで笑える部分もあって、本当に素敵なストーリーでした。

娘役の奈緒ちゃんの温かくてまっすぐな役柄も良かったし、この親子を取り囲む、カズマルくん、龍ちゃん、美奈子、岸くん…登場する人物全てが魅力的で、何度でも見たい作品になりました。

私も色々と思い出したことがあったので、普段はあまり書かないようなnoteを、書いてみようと思います。


父から膵臓がんであると伝えられたのは、私が21歳の時でした。

今の時代、2人に1人はがんになると聞くし、早期発見すれば手術や治療でなんとかなるものだと思っていました。
ただ、ちょうど同じ時期に、スティーブ・ジョブズが膵臓がんで亡くなっており、この病気に関しては、手術をしたとしてもその後の生存率がとても低いことも知っていました。

父から電話でこの話を聞いた時、正直悲しいとか、怖いとか、そういう感情は浮かんできませんでした。今思うと、頭が付いていかなかったのだと思います。
「お父さん」というものは、娘が結婚して子供を産むまで生きているものだと思っていたし、年老いていずれはボケたりするのだろう、なんて呑気に考えていました。

ドラマでは、手術や治療を受けずに死を受け入れる選択をしていましたが、うちの父は、いろんな方法で生き延びようとしました。
それが父の選択であり、家族の選択でもありました。

放射線治療を受けたり、体に良いとされるサプリを取り入れてみたり、メンタルを保つためにポジティブになれるような本を読んでみたり。

きっと、苦しかったし、怖かっただろうけど、お父さんは一切弱音を吐くことなく、自身の体に巣食う、がんと戦っていました。

それでもやっぱり、がんの進行には勝てませんでした。
当時父は58歳。がんって若いほど進行が早いんですね。

入院している父をお見舞いに行った時、母がいない隙に「ちょっと手伝ってくれ。」と言われ、姉の結婚式でバージンロードを歩くときの練習をしました。

病院の廊下を腕を組んで一緒に歩いていたのですが、ナースセンターの前は恥ずかしいからと、早歩きで通り過ぎる父が可笑しくて。
でも、私は結婚式で父と一緒に歩くことはないのだなぁと思うと、切なくて、涙が溢れそうでした。

がんが見つかってから約半年。
お父さんはみるみるうちに痩せ細り、明らかに顔色も悪くなっていました。

姉の結婚式の日、病院から直接式場に移動した父は、私との練習通り、無事バージンロードを歩くことができました。
式の途中で病院に戻らないといけないほどしんどそうな様子でしたが、姉のドレス姿を見た父は、優しく笑っていました。

それから1ヶ月ほどで、父は緩和ケア病棟に移りました。
その時初めて「緩和ケア」という言葉を知ったのですが、緩和ケアとは、がんに限らず、「重病に直面している患者とその家族に対して施す身体的・精神的なケア」のことだそうです。

確かに、緩和ケア病棟の看護師さんは、父の身体的な苦痛を和らげる処置を施すだけでなく、死後の不安や気掛かりなことのヒアリングもされていました。

亡くなる前日、麻酔の影響でほとんど意識が無い状態だった父がむくりと起き上がり、普通の会話を始めたのには驚きました。
母は、もうこのタイミングしかないと思ったのか、「何かみんなに言うことない?」と、父に訊ねました。(死にゆく人になんてデリカシーのない発言なんだ…。)

父は私に向かってあっさりと一言。
「ETCカードは、もう用意してますから。」

大学を卒業したら地元に戻ることにしていたのですが、通勤用の車と合わせて、ETCカードも用意したよという意味のようでした。
娘への最後の言葉それかよ!と思いましたが、車が好きで、家族をあちこちドライブに連れて行ってくれた、父らしいメッセージでもありました。

緩和ケア病棟に移って約一週間。
父は最後に、大きく大きく息を吸って、その生涯を終えました。
人の一生が終わる瞬間を、あんなにはっきりと見たのは生まれて初めてで、「人ってこうやって死ぬんだ。」と、どこか冷静な自分もいました。

父はげっそりと痩せ細ってはいたものの、彫りが深くて鼻筋も通っていたので、死に化粧をすると案外見栄えが良く、みんなで「ドラキュラ伯爵みたいだねぇ。」と泣きながら笑い合いました。

父が亡くなったのは8月の夏真っ盛りの日でしたが、その日は風が涼やかで、月が綺麗な夜だったのをよく覚えています。


私たち家族は、「春になったら」のドラマほど、死に向き合うことはできませんでした。
死を受け入れていれば、残された日々の過ごし方がもう少し違ったかもしれません。

父が亡くなるまでの日々は、本当に怖かったです。
ジェットコースターって、降りる瞬間よりも頂上に上っていくまでの時間の方が怖いと思うのですが、常にその状態が続いているような感覚でした。
父が亡くなった時、もう父も私たち家族もこの恐怖から解放されたんだ、と安心したのも事実です。

私が「やりたいことリスト」を作っているのは、おそらくこの経験があったからだと思います。

人って本当に、いつ死ぬか分からないし、死なないにしても、病気や怪我で動けなくなるかもしれないんです。
そうなった時に、「あれやっとけばよかったなぁ」と思うのが怖くて、お金や時間を使って、たくさんの経験をするようにしています。(貯金できないのはちょっと不安だけど。)

仮に私が余命3ヶ月と宣告された時、父のように死に抗うのか、ドラマのように死を受け入れるのかはまだ分かりません。考えてもあまり想像ができなくて。
ただ、いつどうなってもいいように、好きなことを楽しみ、そうでもないことは程々に過ごして行けたらいいなぁと思っています。

「春になったら」。
死を扱ったお話しではありますが、感傷的になりすぎずポップに描かれていて、とても面白いドラマです。
Netflixでも全話配信されているので、気になった方はぜひ見てみてください。

おしまい。

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