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宇多田ヒカル/BADモード Pitchforkレビュー日本語訳

BADモード/宇多田ヒカル 8.0点
by キム・ジョシュア・ミンス

自己のアイデンティティを理解するための道はまわり遠く、明確な説明書は無く、終わりのないプロセスである。アメリカで生まれた日本人歌手の宇多田ヒカルにとっては、それは始めから明らかだった。
Cubic U(日本デビュー前の名義)としての活動が商業的に失敗した後、芸名を変え、カーペンターズやバート・バカラックのカバーから、より自分の心に密接なものを選んだ。それはR&Bだ。
1999年のデビューアルバム『First Love』は、日本国内での最高売り上げ記録を塗り替えた。それ以降の数十年で、様々なダンスポップの系統を探究し、数年間に渡る活動休止を経て、息子を授かり、母親の死の悲しみを歌にした。
それでも、最新アルバム『BADモード』は、成長と内省の瞬間に満ちた、新たな発明となっている。
前2作のような生楽器の演奏はほとんどなく、電子音とよりメロウなポップスで、思慮深く生活的で温かみのある雰囲気が好まれている。
加齢とは自己の絶え間ない膨張と結晶化である。20年以上、反論の余地なくJ-POPの王者として君臨してきた宇多田は、今でも自分自身の理解の最中だ。
BADモードの愛と現実の描写は共感できる感情に満ちていて、まるで私たちが常に真価を発揮できることを、友人が穏やかに思い出させてくれるようだ。

昨年、宇多田ヒカルは英語における敬称について不満を抱き、自身の敬称をMys. Utadaとした(ミステリー宇多田の略)。それはジェンダーや婚姻関係によって人を単純に識別する肩書きを避けるためだ。
その1週間後、ノンバイナリー(男女のいずれにも属さないと考える性自認を持つ人)であることをカムアウトした。
「自身の性自認に関係すると思われる人に出会ったことがありませんでした。」と最近ラジオDJのゼイン・ロウに語っている。
「知るという知識。それはギフトのようなものでした。」

BADモードは明確にジェンダー問題に取り組んでいるわけではないが、愛情のこもった腕を伸ばして、共鳴する心地よさという同様のギフトを提供している。
タイトル曲はディスコ寄りのシティポップを志向しているが、ジャンルが持つ賑やかな活気の代わりに、宇多田が持つ思慮深さと親切な気遣いにふさわしい落ち着いたエネルギーがある。友人が落ち込んでいるので、何でもしてあげようという。
明るいホーンを従えて、"ジアゼパム(抗不安薬)を半分ずつ分けよう"と優しく元気に歌う。
宇多田の輝きが最初に発揮された1998年の"Automatic"では、あなたを心配してくれる誰かのそばにいること、恵まれた平穏について語った。ここでは同じ愛情を元にしている。
恐怖や困難にもかかわらず、宇多田は慈愛に満ちた主張でこう歌う。"あなたが落ち込んだり孤独を感じたときは、私に知らせてほしい"。

これらの10曲で宇多田が目指すものは明確だ。完全に爽快な方法で愛し、愛されたいということ。
時には"BADモード"のような友情を通して。または"One Last Kiss"のようにロマンチックなパートナーを通して行われ、シンセの残響が愛の無限性を肯定する。
そして時にそれは、描写を超越した相手となる。
"Time"は元々親友が服用していた抗がん剤の名前をとって"テモゾロミド"と呼ばれていた。
宇多田は、カレシにも家族にも言えない、身近な人への打ち明けを口にするが、事態を混乱させる。キスとその少しだけ先までしたことがある二人だが、宇多田は「恋愛なんかの枠に収まる二人じゃないのよ」と物憂げに告白するのだ。
恋愛の常識やヒエラルキーに阻まれた関係性に対する絶望と後悔、そして渾身の宣言から伝わる激しい情熱。機会を逃したこと、つまりこの時間の不可逆性は、痛烈である。

宇多田ヒカルのストーリーにおいて、英語と日本語の両方で歌うということは非常に重要なことだ。ニューヨークで生まれ、アメリカ、日本、イギリスを行き来して生活してきたが、このアルバムはバイリンガルとしてのリアリティを完全に反映した最初の作品となった。
全編英語で歌われる"Find Love"は、グレン・アンダーグラウンドの"May Datroit"を意識した、懐かしみのあるボーカルハウスアンセムだ。それは抑えられつつも感情的で、宇多田の舌からこぼれ落ちる言葉は、愛とセルフケアのための心の叫びを届ける。
各歌詞の明瞭さからは様々なムードが感じられ、シモーヌの"My Family Depends on Me"のような印象的な無愛想さを彷彿させる。つまりダンスフロアを喜びや痛み、そして傷つきやすさの場として捉えているのだ。


カラフルな什器、指相撲をする男女、詩を売るホームレスの女性など、カフェでの観察が詳細に描かれた"気分じゃないの (Not in the Mood)"で、宇多田は日常の不感症さを最も説得力のある形で肖像にすることで、BADモードの全体的な雰囲気をさらに憂鬱にしている。
さり気ない叙情詩という試みは、宇多田の過去の作品では難点であった。"Keep Tryin'"は過度に説教的で、"The Workout"は新生したクリスチャンとの出会いの強烈さを過剰に説明しすぎていた。しかし、この曲での宇多田はあまりに苦悩しているため、メッセージの押し付けが出来ないことが大きな利点となっており、スローなダウンテンポのビートに乗る、荒涼とした雰囲気が支配的だ。
その無気力さを強調するために、童謡の"Rain Rain Go Away"を英語のサビで繰り返している。陳腐に思われるかもしれないような、大人の憂鬱や、よりシンプルな時代への憧れを描いているが、最後の一節でそれは挽回される。宇多田の息子が登場し、亡くなったフィッシュマンズのボーカル佐藤伸治を彷彿とさせるような、遊び心のある、屈託のなさで歌うのだ。一瞬、未来が輝かしく見え、子供の頃の明るい喜びが想像以上に身近に感じられる。

BADモードというタイトルは「気落ち」を意味し、9曲連続で感情を揺さぶられるのはつらいことだ。
それを終わらせるためのカタルシスであるFloating Pointsとの共同制作曲"Somewhere Near Marseilles -マルセイユ辺り-"は、スケルチ音、ハンド・パーカッション、そして抑えられない愛を描いた、活気あふれるバレアリック・ハウス大作だ。
宇多田は"Say I'm not the only one"と繰り返し、深い信奉を避け、不安がっている。しかし、この曲はあまりにも陽気で、あまりにも魅惑的なグルーヴだ。
やがて宇多田はこの愛にのめり込み、声を生き生きとはしゃぐように扱い、トラックのリズミカルな枠組みに組み込まれていくのである。それはマルセイユ旧港のダイナミックなエネルギー、地中海の催眠的なうねり、ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院の荘厳さなど、その街の生命力を実に捉えている。美しさの豊かな場所から着想せざるを得ず、宇多田は12分間に渡って、広大な宇宙のような溢れる可能性を呼び起こす。それは、新発見への熱望、気のある素振り、そして絶対的な充足感であり、変容に対する親密さを絶え間なく探究するこのアルバムにとって、真のブレイクスルーと言えるだろう。
BADモード全体に行き渡るメッセージの要点は、こういうことだ。
"もし成長したいのなら、あなたの愛は恐れ知らずでなければいけない。"

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