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渋谷駅前の思い出

今年もハロウィンで、渋谷駅前に6,000人を超える若者が集まり、恒例となったあの騒動が起きたそうだ。数日前には、韓国の繁華街イテウォンでも大勢の若者が集まり、狭い通りでの転倒事故から154人が圧死、130人以上が怪我をしたというニュースがあった。それを受けて、今年は多少は少ないのではと思われたが、余り影響が無かったようだ。

日本では多くの警察官や警備員が出動している。事故や喧嘩は自己責任であり、いっそうのこと警備は止めるべきでは無いかと思う。翌日の朝まで警戒はせず、死者が出ても喧嘩で怪我をしようが、自制の出来ない者に国家がそこまで守ることは無い。


今から、もう50年以上も前になるが、あの駅前のスクランブル交差点がまだ普通の交差点だった頃、あそこには少し苦い思い出がある。苦いのか甘いのか、若かった頃の大事な思い出で、毎年ハロウィンのニュース目にするたびに思い出してる。30歳を過ぎた女性は、結婚も行き遅れと言われてた時代だった。

父の友人の家族に、7歳くらい年上の人がいた。幼い頃から遊びに行くと、いつも相手にしてくれた。年の差が大きすぎて初恋とは言えないが、とても綺麗な可愛い子で、憧れの女性だった。

彼女が大学を終えて帰ってきていたが、その頃はほとんど会うことも無かった。たまたま彼女の友人が駆け落ちをして、「駆け落ち」という単語も今は死語になったかようだが、東京に探しに行くことになった。そのボディガードに、とうじ喧嘩空手として有名だった極真会空手を習っていたということで、一緒に行くように父から言われた。

彼女は28か29だったかな、そろそろ真剣に結婚を考える頃であり、7歳年下なら問題も起きないだろうと考えたらしい。渋谷駅か駒込駅近くの、2階建てアパートにいるという事だけで、場合によっては東京で宿泊もすることになる、なのでもっとも安全と思われた自分が選ばれた。

最初に駒込駅に行き、周辺のアパートを聞いて回った。結局分からずに、六義園で休んだ。彼女は何度も来ていたようで、詳しかった。しょげて歩いてる後ろ姿に、年上とは思えない愛おしさなのような感情が湧いてきた。少し高い靴のようだったが、身長差は20cmは超えていたせいか、ズッと年下のように感じた。園内の狭い道を歩きながら、何となく肩を抱き寄せてしまった。余りにも気落としてる姿を、そのままにしておけないくらいに男気が出てしまったというか。

懸命に慰めの言葉を言いながら、駒込駅へ向かった。駅構内でうつむいてる姿のむこうに、ツツジが満開だった。塗装のはげかけた駅舎の、薄い空色の木の柱に寄り掛かり、背中で塗装をこすり落としながら、美しいと感じた姿だった。

渋谷駅の交番で、確かとも言えないアパートの名を聞いたら、意外と簡単に分かった。そこは時々TVドラマに出てくるような、いかにも安アパートという感じの、外階段の2階建てのアパートだった。今の渋谷駅周辺では、あのアパートの辺りは1等地になってるのかもしれない。たぶん既に再開発されて無くなってるだろう。

2階の部屋に小さな名札が貼り付けられてて、直ぐに分かった。中に入って話をすることになったが、3人で話がしたいと駅前の交差点近くの喫茶店で待つように言われてしまった。


あの駅前交番の近くの喫茶店は、向かい合わせの席ではなく、全席が同じ方向を向いてる配置だった。そこで1時間以上もコーヒーばかりを飲み続け、間が持たないので、年齢のいったマスターに近くのホテルなどを聞いた。ボディーガードなので、部屋は二つなどと言い訳がましい話をしていた思い出がある。駅近くには、当時はすぐに分かるホテルが建っていたのに。

彼女が来て、しばらく居たが何も話さなかった。親や周囲からも反対されて、結婚式も望めないが、共に暮らしたいという決意だったそうだ。そんな話をしながら泣き出して、寄り添ってきた。

もう夕方、少し雨も落ちてきて、かなり暗く感じた。喫茶店近くの店で、透明のビニール傘を1本買って二人でさした。彼女が普通に、田舎ではまだ見たことも無いビニール傘を買ったので、そういう姿が駅周辺に溶け込んだ、妙に都会的に感じた。

頭の中では喫茶店で聞いたホテルを思い出そうとしてるのに、横では雨に紛れて彼女も涙を流しはじめてた。渋谷駅前の大きな交差点は、いつまでも信号が変わらず、涙を流しながら寄り添ってくる彼女を抱きしめ、つい・・・。もう空は暗かったが、東京という都会の、透明のビニール傘を抜けてくる渋谷駅前の灯りは明るかった。二人の情景など、誰も見てる者は居なかった。

けっきょく帰ることになり、頭の中のホテルでの妄想はそのままになった。

帰ってから、二人の付き合いが何となく始まった。両家も困惑をしていたようだ。親同士が友人で、彼女は7歳も年上で、もう30歳に近付いてた。友人達も紹介すると、後で本当に良いのかと聞かれた。あばたもえくぼと言うぞ、本当に良いのか、などと言われたが、年の差はハッキリと分かるのだろう。

でも、初めて美しいと感じた女性だった。毎日が楽しかった。当時、特殊鋼の勉強をしていたが、誰に話しても聞いてくれそうもないつまらない話を、すごく面白がって聞いてくれて、この人と一生共に過ごしたいと結婚を申し込んだ。返事は待たされ、その間に我が家が火災に遭い、それを期に別れてしまった。別れて間もなく、彼女は30歳の少し前に結婚をした。

彼女は幸せになれたのか、その後の話は誰からも聞いてない。あれから50年以上も経ち、80歳を超えただろう。いまだにあの頃のままの姿形、交差点での涙が、霧雨の中に抱き寄せてしまったことが、雨に濡れた透明なビニール越しの滲んだ光が、まるで昨日の出来事のように思い出す。

スクランブル交差点などと有名になったが、あの頃の木造安アパートや、映画の席のように同じ方向を向いてた喫茶店や、渋谷駅前の交番や、いつまでも変わらない交差点でのあの日のことを、ハロウィンをテレビで見るたびに懐かしく思い出す。

この歳になると、どうにも出来ないことなのに、戻らない時間なのに胸が苦しくなり、息苦しくなるのは、忘れられないのだろう。

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