今朝は万葉集の、大伴旅人を読んだ。
『万葉集』巻五の、大伴旅人が詠んだ亡き妻に捧げる歌。中学の頃に、国語の先生に勧められて詠んだことがある。『万葉集』を読み始めたが、これが全く面白くない。当時は言葉遊び的に捉えていたので、俳句の方が面白かった。
少し絞って読むと良いと言われ、大伴旅人や、この後の山上憶良も読んだ記憶はあるが、感想も内容さえ全く覚えていない。
今朝、あらためて読むと、ただただ争い事ばかりで過ぎた36年間の夫婦生活が、妙に懐かしく思い起こさせる。友人からは考え直せと言われ、親戚からは「身上調査書」まで渡された。全ては両親のパチンコ依存症の事ばかり。成り行きで結婚したが、あらためて依存症の恐ろしさを感じた36年間だった。妻の死を以て逃げ出せた。
面白いもので、10年も経つと物の見方は変わるものだ。そして『万葉集』の読み方さえ、わずか数首の歌で長い時間を過ごすことも出来る。
友人の山上憶良が、大伴郎女の死後100日目に、旅との心情を詠った歌も、より悲しみを深くする。
時間というモノの面白さを、今朝はあらためて感じた。時間は「雪」のようなモノで、全てを真っ新な、無垢の世界に変えてしまう。見苦しいモノを覆い隠し、聞きにくき耳障りな音も、「シンシン」という無音の中の、清浄な音に変えてしまう。