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ボケ老人の戯言だと思ってスキップしていただきたいが、私にとって彼女は、16歳で出会った時のままずっと美人である。  年齢を重ねても、体重が高校時代の42kgから変わらなかったように美貌も維持していた。格別な努力はしていない。しかし、私の目には死後5日間はきれいなままだった

介護生活:団地の方々へのお礼の手紙

今日の土曜日出棺、明日は家族葬、そして月曜日に介護ベッドの返却や支払いなどが終わる。それ以外の仕事もありそうだが、いったんは、すべて忘れて休みたい。とにかく絶対的な睡眠が足りない。お昼寝したいが、ご焼香に来られる近所の方の対応で、時間もとれないし、緊張もしているのだ。

 私の我儘がなければ、つまり、せめて1週間の猶予がほしいという私の我儘がなければ、彼女は美しいままにあの世に旅立つことができたのにという悔いが残る。  時間は残酷である。死に顔になっていくのを見るのは辛かった。容貌は確実に衰えていった。頬もこけていった。  本当にごめんなさい。

妻が亡くなって1週間経つ。1週間前の今日が、嘘のような静けさである。今朝も4時過ぎに目が覚めた。12時過ぎに寝たので睡眠が足りない感じだったが、二度寝できなかったのでそのまま散歩に出た。6時前に帰ってきて、シャワーを浴び、洗ってあった食器を片付けたりしていた。

息子は食事の準備など以外は、部屋にこもって、仕事をしている。だから残りの家事は全部引き受けている。もしもこれが娘で、何でもしてくれる娘だとすると、私はやることが何も無くなる。そうすると、彼女の思い出に浸るだけになる。完全に鬱に逆戻りになる可能性大だ。だから、息子で良かったと思う。

息子は数日かけて書いていた。私は、弔問のみなさんへの対応や部屋の掃除などの日常の仕事で精一杯で書く精神的な余裕も時間も持てなかった。とうとう、最後の夜に、彼女の遺影が飾られた会場の椅子に一人座り、彼女への手紙、絶対に読まれることのないラブレターを書いた。

noteのテキストの形式ではなく、「つぶやきの投稿」を使っているのは、まとまらない思考、断片的な記憶を書くのに適しているからである。少なくとも今の私にとっては、すごく助かっている。つぶやきの投稿は、若い人は、スマートフォンでやるのだろうが、私はパソコンでしかできない。

弔問に来ていただいた人の何人かから、出棺の時間を尋ねられた。数人だったので、4,5人の方に見送っていただけるのだなと思って嬉しかった。午後2時半、自宅から外にでると、霊柩車の周りには、2,30人の方が見送りの来られていた。それだけで泣いてしまった。

  生きているかのような顔のままでの火葬であれば、それはそれで辛かったと思う。  彼女には申し訳ないが、5日目ぐらいから顔が少しずつ死人になっていくのを見て、もう楽にさせてあげたいとも思った。顔を見るのが、だんだん辛くなってきていた。彼女の容貌が衰えていくのを見るのが辛かった。

部屋のドアからのお棺を出すことは、私の苦労にもかかわらず無理ですということだった。私は、妻を一度外にだしてというようなことは避けたいと強く言った。寝室からベランダに出て、それからリビングに入れば、何とかなるでしょうということになった。またまた片付けが必要だったが、一安心である。

葬儀の対応や公的な対応、親戚知人への連絡などは、すべて息子にやってもらっている。私では泣いていて話にならないからである。朝食は私が準備しているが、昼食と夕食は息子が作ってくれている。かなりボリュームがある食事だ。激ヤセというほどではないが痩せたので、それを気にしてのようだ。

妻が亡くなる10日前からの短時間睡眠が続いている。亡くなる前は、やむえなく数時間しか寝れなかった。亡くなった後は、夕食後、息子とビールとワインを呑みながら、ずっとお喋りをしている。そのことで心の安定化を図っている感じだ。いつも午前様だ。そして、午前4時過ぎには目が覚める。