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何気ない話しなのに

60歳で自営を辞め、ときどき働き、63歳で独身に戻った。気晴らしに契約社員になり、人生終わった感の、僻めになった。
決して達観してるわけでも無いのに、妙に若い者から電話やメールが来るようになった。たぶん、何かに迷い悩んでの事なのだろうが、電話を掛けてくるときには、たいがい自分なりの結論が出てることが多い。


契約社員の時の上司から、何度目かの転職で、今は少し大きな会社に落ち着いたと連絡が来た。もしかしたら県外の工場へ行くかもしれないが・・・、と・・・、その後に、どうでも良いような話題が長々と続いた。

二回り以上も年下で、大卒後の就職で、早くから月に40万円の給料をもらっていたそうだ。彼の能力と真面目さや、人当たりの柔らかさからすれば、その会社では少し安いくらいかもしれない。同期の者に比べれば、相当に良い給与かもしれないが。

数年経って、同じ設備管理部門の先輩達とのチームに配属になり、順調にキャリアを積んでいた。彼自身も仕事に誇りを持ち、結婚よりも仕事を選んでしまった。順調に進んでいたように見えたが、父親が病で倒れた。兄弟はそれぞれ家庭を持ち、子供も居て、親と暮らせない。仕方なく退社して親元に戻り、給料は半分以下の会社に勤めた。そこで知り合ったのだが、親との同居を甘く見ていたようだった。

父親が亡くなり、老母との二人になった。
当然、会社勤務も時間や距離が限られ、役付きになっても定時で帰らなければならない。最初の会社での貯金も底を突き、転職を何度かして、今の所に落ち着いたようだ。その会社の内容は若い頃から良く知っていて、新設工場の話しは数年前に聞いていた。彼の能力と性格から、責任者として選ばれてもおかしくないし、培った知識と技術を十分に発揮でき、会社への貢献も大きいだろう。なによりも、彼にとって年齢的に最後のチャンスかもしれない。

でも、現在の旧工場から動かないだろう。
最初の一言
「もしかしたら県外の工場へ行くかもしれないが・・・」
に、行きたいが行かない、行けないだろうと決めたのだろう。
わざわざ内容の無い話をして、決意を固めたようだ。

人生とは上手く行くことの方が少ないようだ。
クセの強い母親との二人暮らしを選んでしまったのも仕方ない。

選択の余地の無い判断をするとき、こんな僻めの生き方をしてる、関係の無いようなジイさんと雑談をしたくなるのだろう。意見を求めるよりも、話すことで気持ちを固めたいのだろう。人生の脱落者になっても、仲間が居ることを確かめたいのだろう。

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年が変わって間もなく、タカ子から電話が来た。
去年、茶室の庭を広くして、少し作り替えたが、あまりにもキッチリしすぎて落ち着かないという。

住まいを改築して庭を拡げたという。本格的な茶会には実用的とは思えないが、玄関横の檜皮葺ひわだぶきの露地門をくぐると、数人用の腰掛待合こしかけまちあいや中門や手水鉢・石灯籠もあり、茶室からの風景は、石や木々の大小の配置から、深山の奥行きも感じられた。

水屋の裏に通じる飛石とびいしの、別れた石に関守が置かれていた。それが見事すぎて、全てがキッチリと計算通りに作られ、確かに出来すぎて落ち着かなかった。

改築して広くした茶室や庭を見てから、久し振りにタカ子と彼女の両親の墓所に行った。

先祖累代の墓の横に、何基かの墓があり、その一つに彼女の両親と夫が入っている。墓所の石段を上がった横に小さな地蔵堂が建てられ、石仏が置かれてた。地蔵堂の前に線香を焚いたときに、これは何と聞いたが、聞こえなかったのか、何も答えなかった。冬の寒々とした墓石に、墓花はかばなが妙に鮮やかに浮いていた。

両親は厳格な人と聞いていた。結婚した相手は、父親の元で鍛えられた和菓子職人で現場を仕切り、タカ子が今の会社経営の礎を築いた。長男が本社の経営をし、次男夫婦は東京を中心に数軒の店を立ち上げ、最近は別会社に独立させたなど、そんな話をしながら境内を歩いた。

お地蔵様の足下に、三角のような四角のような、少し平らになっていた石が気になっていた。タカ子に聞いて、彼女の墓所を整備をしたときの敷石で、家の所有物じゃないの、と言うので持ち帰った。残っていた黒いシュロの紐を、歪な石に巻いて関守石にしてみた。出来損ないのアンバランスが、職人技の関守とは違う妙な味を感じた。タカ子もその方が良いと言ってくれた。

本社の店奥の蔵から繋がった、改築された別棟べつむねの小さな住まいは、タカ子専用の家で茶室でもあり、通いのお手伝いさん以外は入ってこないという。庭に面した茶室でユッタリとした時間が過ぎて、フッと、いつも一人で茶を点ててるの、そう言うと、スッと立って廊下から水屋の方に行く。火起こしをして、炉の炭が強くなる頃には薄暗くなっていた。母屋の方から長男の嫁佐恵子さんが来て、あら、夕飯をどちらに用意したら良いのか聞きに来ましたのに、まだのようですね。などと言って、炉の前のタカ子を見て、少し戸惑っていたようだ。

あ、ごめんなさいね。遅いお昼を外で済ませてきたので、夕飯はお向かいにこちらからお願いするので・・・。何も言わずにごめんなさいね。とんでもないというように手を強く左右に振りながら、佐恵子さんは小走りに蔵の方へ入っていった。いつもは厳しいことで知られているタカ子が、妙に優しい言葉使いでさらに戸惑ったようだ。見ていてもおかしかった。

お手伝いのシゲさんが床の用意も出来たので、これで帰ると挨拶に来た。何事かを耳打ちしてタカ子が戻り、夜咄よばなしという茶会に出たことがあるか聞いた。もちろん夜咄の茶事など知らないし、茶道など正式に習ったこともない。こちらの返事も聞かずに、シゲさんと庭に降りて、石灯籠や数カ所にロウソクのランタンをともした。部屋にも膳燭ぜんしょくが立てられ、電気の灯りが消された。部屋の膳燭ぜんしょくのロウソクの揺らぎと、雪見障子の大きなガラスを通して見る外の灯りは、早い夕暮れと共に少しずつ幽玄な世界に導かれるようだ。

ちょうど一服した後に、食事が届いたとシゲさんが膳の用意をして、茶室の入り口に二膳を並べると、それではこれでと帰って行った。まるでままごと遊びのようにタカ子が給仕をして、略式だからと言って寿司と吸い物の膳を共にした。片付けた後、濃茶を一服して、もう足が保たないと言うと、薄茶を用意して庭に面した畳廊下たたみろうかにおりた。夜咄という夜の茶会は、まさか廊下で足を崩して、庭を眺めながらの茶飲み話ではないよね、などと冗談を言うが、タカ子はユックリと流れる時間を一人で楽しんでいるようだった。

ユラユラとした覚束おぼつかない小さな灯りに、豪華な露地に相応しくないような関守石が揺らいで見えた。やはりあれは良くないね、と言うと、あれが良い、あれが良いよ、とタカ子は念を押すように言う。部屋の中のロウソクは頼りなく揺らめき、庭の灯籠やランタンの灯りが、新しく施された苔の露地が深山へと誘い、石組みの景石けいせきに寄り添う頼りなげな万両さえ、深山木みやまぎのそれに模して見える。

何となく話題も途切れて、タカちゃんは偉いね、和菓子の店を会社組織にして大きく伸ばし、これ程の見事な家にも住んで・・・。それに独り言のように、人の一生って、思い通りに生きた人ってどれほど居るのかしら。あのお地蔵様はね、流産した私の子どものために建てたの。お茶はね、ただ一つだけ、自分自身でいられる時間なの。時間が掛かって面倒で、などと言うけど、私にとってはとても短い、本当の自分に戻れる時間なの。

何も話す事も無く、長く感じられた時間が過ぎてから、もし流産などしなかったら、貴方と同じ時間を共に出来ていたら、今とは違っていたのかしら・・・。何を言ってるのか理解できずに、薄明かりに揺れるタカ子を覗き見するように見た。冷めてしまった茶碗を置いて、これ新作ですって、と野球ボールやサッカーボウルを真似た和菓子を勧めてきた。

宿の予約を忘れていたという言い訳で、夜咄とかいう茶会を終わりにしてもらおうとした。それを話すと、もう床の用意もしてあるので今夜はここに泊まって、と言われた。いつもの快活なタカ姉に戻り、さあさあ片付けるの手伝ってと水屋の中も案内された。ここには母屋とは別に風呂もあるようだが、近くに銭湯が有るというので、一緒に散歩がてら行ってきた。何事もないように振る舞っていたが、何とも女性だけの家に泊まることに戸惑いもあり、お地蔵様を建てたいわれも思い出して、落ち着かない胸騒ぎが収まらない。

一つ部屋の中で布団を並べ、寝ようとしても落ち着かない。貴方は幸せな生き方が出来たの、などと唐突に聞いてくる。見るとまっすぐ天井を見詰めている。何が幸せなのか、良い生き方とは何なのか判らない。毎日返済のことばかり考え、社員の仕事を探すためにバカみたいに頭を下げて廻り、二人の子供には恵まれて自慢もできるが、30年近くも離婚も出来ずに家庭内別居を続け、顔を合わせれば実家の親のことで喧嘩ばかりで、充分な教育の機会も与えられなかった。タカちゃんがお茶の時だけが自分で居られると言っていたけど、それさえ自分にはなかったような気がする。

今まで他人には言ってはいけない事と思っていた事を、ああこの部屋の天井は格天井作りだったのか、年輪の模様が市松模様で美しい作りだ、などという普段とは違う空間に、幾つもの想いが重なり、ダラダラと余計な事ばかりを話してしまった。

冬の盛りなのに、部屋の中は暖かく、聞こえるか聞こえないかというくらいの空調の音が、息苦しい無音の闇を防いでいた。炉の残り火に香木を焚べたのだろうか、ボンヤリとした灯りと香の中、タカ子は目を開けたまま天井を見ている。もしも、この人と同じ時間を過ごせていたら、果たして幸せな生き方が出来たと思えるのだろうか。お地蔵様の話が気になるが、口に出してはいけないような・・・。

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毎日毎日を、食べるために働いているのか。住まいを得て、そこで眠るために働くのか。懸命に努力をして、人のために生きたところで、報われることも無い。

嫌な事を避けて自分本位に生きて、思い通りの結果が得られて、それが幸せなのだろうか。親のため、他人のためにと生きても、結果は報われることも無い。報われなくとも、幸せを感じられるのだろうか。義母のように狂ったようにパチンコにのめり込み、周囲に取り替えしも出来ない迷惑をかけ続け、最後は特養ホームでヘラヘラとして暮らしてる。羨ましいくらい幸せに思えるが、死の瞬間に自分を取り戻したとき、人間として生まれて充分に有意義に生きたと思えるのだろうか。

若い人達から相談のような、悩みを話したいような、そんな電話が来ても答えることなど出来ない。まともな答えなど思い浮かばない。

相談事には解答は無い、と言うのが解答かもしれない。所詮は自分の生き方の責任は、自分でしか請け負えないのだから。ただ、自分のような煮え切らない、グジグジした最後にだけはなって欲しくない。


あのさぁ、もし良かったら、私と再婚しない・・・。老後はここで一緒に暮らさない。二人とも独身になってるし、もともと結婚の約束をしていた仲だから・・・。そんな言葉が、お守りのように胸の中にストンと納まって、あの夜の温もりのように暖かい。けれど、50年間も無視されてきた、あのお地蔵様は許さないだろう。

残りの時間をふたりのニャンコとノンビリ過ごすのが、たぶん誰よりも、何よりも最も幸せなのかもしれない。それは自分にとって、もっとも似合いの生き方なのかもしれない。




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