見出し画像

静かで、少し寂しい年の終わり

娘夫婦が年末の挨拶と、タイヤ交換のために来てくれた。
年末の行事としてはそれだけの、何とも寂しい年の瀬である。
5人揃って焼き肉店へ行ったが、いつの間にか普通に同乗させてもらい、当たり前のように会計も向こう任せにしていた。

かつては親戚や仕事の関係者など、年始の挨拶は7日くらいまで続いた。母と父が亡くなり、次第に近い親戚ばかり20名くらいになり、コロナでそれも取り止めになった。年末は大掃除と正月用の料理を作ったり、いろいろと忙しかった。ここ数年、何もしなくなると、寂しさよりも気楽な時間がありがたい。ほぼ普通の日常と変わらない。

コロナ下でも、娘夫婦だけは年末年始には来ていたが、いよいよ娘自身も地域や嫁ぎ先で、それなりに役目が着いてきたようで、年始には来られなくなった。伝統的正月行事が未だに色濃く残っている地域の、様々な活動に孫娘共々に声をかけられるようになったそうだ。

ポニテの似合う可愛い孫だったが、いつの間にかボブとかいう短いカットにして、背も伸び大人びて、わずかの期間で変わってしまった。頭の形が良いとかで、美容師さんがいろいろ試すらしい。髪型で大人のように、大きく変わったように感じるのか。皆から愛され可愛がられて、幸せなのかもしれない。街中に家を構えるよりも、かなり不便な過疎の、街はずれの良い所かもしれない。


田舎の事、小学校は一クラスだけで、保育園からの繋がりで、けっこう男の子達が集まってくるらしい。一人だけ保育園の頃からイジメをしてアザを作られたり、困った子がいて、その子との関係を長期間見ているのも面白いと言ってた。地域行事や学校行事では、必ず横にいて手を出していた。それが最近は近づくだけで、何もしなくなったそうだ。数人の男の子達と仲良く遊び、しだいに除け者にされてきたそうだ。明らかに孫娘に好意を感じているのが見え見えで、それが子供らしくて面白いらしい。

そういう大勢の、といっても市中の学校よりも少ない濃密な、学校や地域活動の付き合いで、素直に育つ事は良いのだろう。それも中学までで、その先は他の地域と一緒になり、どう成る事か。中学になると複数のクラスが出来て、ちょこちょこイジメをする子とは、中学では別クラスにするように申し送りをすると担任が言っていたそうだが。

そんな事は考えもせず、相変わらずマイペースで過ごし、本を読み物語を書いてるようだ。気分が乗れば音符に関係なくピアノを弾き、WALKMANで好きな音楽を聴いている。何となく趣味が似てきて、本の話しや音楽など、話をしていても楽しい。そろそろ茶道や書も習って欲しい所だが、土地的に良い先生を求めるのは難しいようだ。

あと何年、この子と年末や年始を会って祝う事が出来るのだろうか。誘われるように同居や、近くの戸建て住宅へと気持ちも揺らいでしまう。行ったところで、ジイジと親しく話せる機会の少ない事は変わらないだろう。むしろ手紙やメールの交換という適度な距離感が、いつまでも続けられて良いのかもしれない。


今までは何でも書いて伝えられていたのに、今日会ったら大人びてて、何とも話しずらかった。急に寂しさを感じた年末であった。まさに、歳を取ったと感じられた年の瀬だった。


#年末の過ごし方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?