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錯視?「見かた」と「捉え方」

いつもと違う、少し低い舗装されてない脇の道を歩くと、いつもシュトルムの短編小説『みずうみ』の一場面を思い浮かべる。北ドイツの、デンマークとの国境紛争の起きた、美しい山の中の光景が浮かぶ。行ったこと無いけど。

少女エリザベートと、老学者の少年時代のラインハルトの、幼い頃を共に過ごした思い出の湖と深い森の道が浮かぶ。幼い頃に父の実家で過ごした日々が、この『みずうみ』の世界と妙に結びついている。

そんな事などを考えながら歩くと、毎日歩いていた同じ道が、別の世界に見えてきて、散歩が遠い空想の世界に入り込める。

いつもの散歩道

並行する道なのに、幅の違いや光の差し方、木々の形や太さで全く違ってしまう。錯覚というのか錯視というのか、思い込みの怖さと面白さもある。


郊外の、ある交差点を右折すると、すぐ左にコンクリート2階建ての殺風景な建物に、大きな「ぎょ〜ざ屋」という看板が掲げられてるのが見える。毎回そこを通るたびに見てるが、一度も営業をしてる様子もない。営業してれば寄りたいと思っていたのに。

たまたま別のルートで通った時に、同じ交差点を左折することになり、こちらからでは交差点ギリギリまで建物が立っていて、曲がってすぐに例の建物が見えた。いつもと同じ建物なのに、看板には「そ〜ぎ屋」とあった。驚いてゆっくり走って確認したが、たしかに「そ〜ぎ屋」で間違いなかった。

いつもの大アールで右折になるルートを通ると、やはり「ぎょ〜ざ屋」に読めた。ユックリと通り確認したら「そ〜ぎ屋」だった。次もまた次も、毎回「ぎょ〜ざ屋」と読んでしまい、意識して見直すと「そ〜ぎ屋」になる。

たかが看板だが、普通の看板と違う平仮名で書かれていると、文字の形が似てて最初に間違えると、それが意識の底に焼き付いてしまうようだ。何も考えずに通ると間違いなのに、やはり「ぎょ〜ざ屋」と読んでしまう。面白い。


似たような事で、似てないかな、「吊り橋効果」というモノが有る。吊り橋を男女二人で渡ると、揺れる恐怖心で女性は頼れる男性に好意を抱くという。好意というよりも、愛情に近い感情が湧き、命預けますで抱きついてくる。女性に持てるのには、揺れる高い吊り橋が一番効果が有ると言われたが、そういう怖がらせるなどという卑怯なことは絶対にしたくない。

以前、食品加工会社の大型冷蔵庫の修理で、冷蔵庫の上に上がった。4mを超える高さで、上に上がったものの周囲が実に良く見渡せて、元来が高所恐怖症なので動けなくなった。その時に同じ歳くらいの、パートのオバチャンがそれを見てサッとハシゴを登り、作業中に後ろからベルトを持ってくれた。揺れるハシゴを下りるときには先に少し下りて、下からズボンのお尻辺りを握って一緒に下りてくれた。

それからは、そのオバチャンを遠くに見つけると何とも頼もしく神々しく見えて、深々と頭を下げて挨拶をするようになった。そういう挨拶をすることで、神様に祈り仏様を拝んだようで、今日も冷蔵庫は壊れずに、無事に過ごせるという安心感で気持ちよく働くことが出来た。

話題が多くて話しが面白くて頭の回転の良い人なのに、温泉で一緒に風呂に入って、背中から前に掛かる見事な彫り物を見ると、何となく本当はスゴく恐いお兄さんなのではと思えてしまう。これも別方向からの「吊り橋効果」だろう。

恐い顔をして背が高くて、仕事もバリバリこなしてる若者がいた。これが何というか、年に数回は絶対に休暇を取っていた。女装趣味というか、本人はコスプレと言っていたが、アニメの女性戦士のような格好をするグループに入っていた。写真を見せられ楽しそうに話してると、何というか・・・、石橋貴明のホモ男さんを思い出した。ホモ男というとLGBTで、・・・問題になるかな。

どう見ても悪代官のような横柄な言葉使いと態度と顔つきの天下り役人に、40代の頃に倒産寸前の所を助けられた。大昔の御維新の後に、曾祖父がその人の祖父が子供の頃に、東京市本郷で学べるように尽力したそうだ。むかし聞いた「人への恩義は三代、恨みは七代遺り続ける」という言葉を実感した。人は顔や見た目で判断してはいけないと感じられた事だった。

元893さんは乗り物の中でスゴく親切で、周囲のみんなはそういう姿を見てると、絶対に前職には気付かないだろう。母親はいつも悩んでいたのに、改心したらホッとしく間もなく亡くなってしまった。問題児でいるのと改心するのと、親が長寿で元気に暮らすには、どちらが本当の親孝行なのか。


何となく人も物も、見え方や捉え方、眺める方向で色や形を変えるものなのかもしれない。何が真実で何が虚構かは、その人自身が決めることなのかもしれない。まさに「荘周の夢」なのかな。

冷たい風に吹かれながら、いつもと違う道を歩くと、田舎で過ごしていた幼い頃の「少女エリザベート」を想い出す。生まれる前から勝手に祖父同士が決めた相手だけど、何となく思い出す事が多くなった。今頃は、元気ならばお婆ちゃんの顔だろうが、赤いスカートと白いブラウスとおかっぱ頭の、あの丸顔からは全く想像もできない。

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