「大人になるということ」

先日、久しぶりに中学の親友と会いました。私は幼少期に住んでいた所から引っ越してしまったこともあり、あまり小中の友人と会う機会も減っていたため、当時の友人たちがいまどうしているのか、といった話が話題の中心になりました。

その友人とは中学校の部活が同じで、特に一緒にいる時間が多かった親友です。彼女は昔はとても自分に自信がなくて、前に出ることを嫌がるような性格でしたが、自分の家庭環境に無理のない範囲で自分のやりたいことを見つけ、堅実に強く生きる女性になっていました。彼女は中身は変わっていませんでしたがなかなか会えなかった4年間の間に確実によい方向に成長していました。

お互いの近況を話した後、話題は共通の友人Aさんの話になりました。私はAさんとはほぼ卒業してから会っていませんでしたが、どうやら友人の話だと中学生の頃とはあまりよくない方向に変わってしまったようでした。私は当時のAさんしか知らなかったので、少しショックでした。

まだ子供だった中学時代、喧嘩も衝突も多かったけれど、成長途中にある私たちはまっすぐに自分の人生を歩んでいました。将来とか難しいものより、その時の楽しいや苦しいと向き合っていれば良かったのですから。

大人に近づき行動力を増した私たちは、社会の現実を知るとともに手にできるものが増え、束縛のない世界に溺れることもできるようになりました。それは、嬉しいことでもあり悲しいことでもあります。地域ごとに割り振られただけの中学だと尚更、数年たって良いほうにも悪いほうにも変わった人がたくさんいます。

私はこの話を聞いてから、成人式に行くのが少し憂鬱になりました。なぜなら、当時の友人たちが変わり果てた姿を見たくないからです…もちろん良い変化をとげた人もいますし、端からみれば悪い変化であったとしても当人にとってはそれが一番良かったのかもしれません。変わってしまった友人に会いたくないのは、当時の人物像を捨てきれない私のエゴでしかありません。それでも、大人になることに抵抗を捨てられない私はまだ子供なのでしょうか。

お酒の付き合いが増えたり、恋愛関係が親密になったり、大人になる上で当たり前な出来事を、すんなりと受け入れることができないのです。そういうものに溺れていく友人たちを、見ていくのが辛いと思うのです。

昔はあんなに早く大人になることを望んでいたのに、どうしてこんなに抗いたくなるのでしょうか。私たちはやはり、なにかを得るというのは引き換えに何かを失うということなのかもしれないと、強く感じるようになったこの頃です。

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